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おじいさんと草原の小学校のnaorinのレビュー・感想・評価

おじいさんと草原の小学校(2010年製作の映画)
3.6
邦題から想像するような、ほのぼの
ハートフルストーリーではない。
もちろん主筋は84歳の老人が
周囲の反発を押し退け
小学校に通う、というそれだけでも
充分ドラマティックな実話なのだが
そこに彼の壮絶な過去、
戦争下で受けた非人道的で
残虐な行為の回想を織り交ぜつつ
ケニアの今尚途上国としての現状
厳しい教育事情をも描いた
シビアな物語だ。

わたしは様々な国の映画を観て
歴史や文化を知るのが好きだ。
ケニアについての知識は
ケニア含む東アフリカが
欧州の統治であったことくらいで
独立の際、対英国だけでなく
民族間の衝突があり
今もわずかに残る禍根についてなど
恥ずかしながら全く知らず
とても勉強になった。

舞台は電気も水道もきてない僻地、
しかしこれは間違いなく現代の話。
実際、首都ナイロビでは日本と
そう変わらぬ基準で人々が暮らし
教師という職をもつジェーンや
同僚、その上司は身なりも良い。
けれど舞台の村の家々や小学校は
吹けば飛びそうなあばら家で
学校で出される昼食のスープは
正直泥水にしか見えず
それでも子供たちはそれらをまるで
ご馳走のように1滴残さず飲み干す。

わたしたち日本人にとって小学校は
国民の義務であり
それ以上でもそれ以下でもない。
けれど彼らにとって教育を
受けることはやっと得られた権利。
あの貧困から抜け出す手立てと
なり得る大きな一歩なのだ。
きっとあの親たちも自らの人生は
すでに見切った上で、代わりに
次の世代に全てを託すつもりで
あるからこその行動だろう。
それが悪いこととは思わない。
むしろ「たかが子供だ」と口にする
大人に教育者たる資格はあるのか。
子供たちはその国の希望そのもの。
けれどそんな中、自らの人生を
最後まで諦めない老人。
そのパワーが1人を、周囲を、
そして世間を動かし
こうして遥か離れた国に住む
わたしの心を動かしたのも事実。
彼のその原動力は、戦争によって
失われた自らの過去を
破壊され穴の空いた心を
学ぶことにより埋めたかったから、
そして孤独ながらも
ここまで生きてきた意味を
見出したかったが故。
彼は全てを戦争のせいにして
仕方なかったと終わらせない。
老いて尚、しなやかで、強い。

今日も世界のどこかで戦争は続く。
無力な我々ができる唯一のことは
過去から学ぶこと。
そしてそれを忘れず
さらに前進しなくては。
ゴールは遠くとも、初めの一歩なら
死ぬ直前まで踏み出せる。
そう教えてもらったのは
わたしの方だ。

そしていつも思う。
どこの国のどんな物語においても
子供たちの無垢な笑顔と行動には
癒ししかない。
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