小学生の頃だったか、中学生の頃だったか、社会の授業で人種のサラダボールという言葉を習ったことを思い出した。
アメリカには多種多様な民族が生活している。
文化や習慣も様々で、奴隷制度という歴史もある。
当然そこには摩擦が生まれる。
この映画には、アメリカで暮らす人々の日常が描かれている。
白人の日常、黒人の日常、アジア人の日常、ペルシャ人の日常、ヒスパニックの日常、警官の日常、犯罪者の日常、一般市民の日常、
多種多様な人種の日常から、アメリカ国内の差別や偏見が伺える。
それぞれの日常が絶妙に重なり合い、悲劇が生まれる。
緻密に練り上げられた脚本が、アメリカが抱える闇を炙り出す。
みんなあからさまに、侮蔑の表情を浮かべ、侮蔑の言葉を吐き捨て、侮蔑の対応をとる。
そんな言葉や態度が、その人の日常を形作っているようだ。
侮辱を吐き捨て、ヒステリックに陥ると不思議と不運が続く。
誰かを卑下することは自分を卑下することに繋がるのだろう。
また、卑下されたことにより「どうせ俺はダメなんだ」と、開き直った態度や行動も、自分を卑下することに繋がるようだ。
銃社会のアメリカでは、下手すれば取り返しのつかないことになりかねない。
なぜ人は痛い目をみないと解らないのだろう?
取り返しのつかないことになってからでは、もう遅いのに…
PS. とても完成度の高い作品でした。
ただ、あからさまに感動させようとする演出に少し萎えてしまいました。
でも、人種差別という現実に萎える心とリンクするから良しです。