しばスケ

容疑者Xの献身のしばスケのネタバレレビュー・内容・結末

容疑者Xの献身(2008年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

ドラマ「ガリレオ」は未視聴ですが、あまりに各所でそのタイトルを耳にするので後学のために「容疑者Xの献身」を視聴しました。
結論から言えば、観て良かったです。

最初こそ推理の段階で「ここまで頭の切れる犯人なのに、ここで詰めが甘くなるのはおかしい」と言われていた部分、映るシーン全てに意味があり、ネタバラシの場面では思わず頭が良いなと声が漏れる程でした。
また、最初こそ頭が良いだけで根は陰湿なストーカーなのではないかと思わせるところにも犯人の一手二手先を見据えた思惑があり、観ている側もそのミスリードに何度も騙された感覚が味わえた事が面白かったです。
天才物理学者に「唯一天才と認めた」とまで言わせる男が企てる道筋と、それを大きく狂わせる原因となる「科学で証明できない、非論理的なものの象徴」。芯から悪い人は存在せず、容疑者となった人たちは(もちろん手は汚していたが)愛する誰かを、大切な何かを守りたかっただけという複雑な絡み合いがこうも美しく悲しい物語を生み出すのかと、深く心に刺さりました。

特に良かったのはやはり、最後の石神が崩れ落ちるシーン。
彼が己の人生を賭してまで作り上げた完璧で美しい四色問題は、彼に生きる希望を与えてくれた、無条件で愛してしまうに相応しい人の優しさによって呆気なく崩されてしまう。それが数学を愛し、彼女らを愛し守りたいと願った石神にとってどれだけ残酷だったことかと思うと、視聴後もぼーっと放心してしまうほどに悲しい結末でありました。
それでもやはり、罪なき人まで騙して殺めてしまった彼には必要な罰だったのでしょう。信仰にも近い恋で盲目になってしまった彼の目を、どれだけ高潔な献身であったとしても罪は罪なのだと覚まさせてから逮捕される必要があったのだと思います。

また、作中にある「隣同士が同じ色になってはいけない」という言葉は花岡家と石神家、隣り合う二つの部屋に住む両方が黒であってはいけない。自分が黒になるのなら花岡家は白であるべきだという数学者らしい考えであると共に、湯川と石神という物理と数学の天才同士が友人として隣にいられた事の答えでもあるのかなと感じました。
石神は湯川の事を本当に友人だと認識していなかったかもしれませんが、それでも湯川からの挨拶や握手を拒まず、共に厳しい山を登り、敵意無く対話に応じた時点で、己の中の盲信と諦念からは少し外れた存在として傍にいることを許していたのは事実なのです。
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