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アンブレイカブルのAKのネタバレレビュー・内容・結末

アンブレイカブル(2000年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

 多くの方がここに投稿しているように、『スプリット』経由で僕も観た。『スプリット』は、その最後にブルース・ウィリス演じる本作の主人公デヴィッドが登場し、次回作のなかで『スプリット』のマカヴォイと『アンブレイカブル』のウィリスが対決することが示唆される。

 コアなシャマラニアンの友人が教えてくれたのだが、「スプリットでマカヴォイが花を手向けに行くのはアンブレイカブルで事故が起きた駅、ダンがすれちがって悲鳴を聞く子供が成長してマカヴォイになる、という設定」になるとのこと。これは楽しみで仕方がない。

 シャマランと言えば「最後のドンデン返し」というイメージが強い。実際俺もそうだったわけだが、そのドンデン返しの妙/叙述トリックの巧さは『シックス・センス』では冴え渡っているが、他作品たとえば本作ではあくまで物語のスパイスに過ぎない。

 本作のどんでん返しはミスター・グラスがテロの首謀者であるということだが、グラスの孤独(それは『スプリット』や『ヴィジット』『シックス・センス』でも繰り返される幼少期の心/身体の傷)は冒頭から繰り返し示される。そして、「朝起きた時に何か寂しさを覚える」というデヴィッドもまた、心の隙間を抱えている。

 身体的/精神的な傷を克服するため、それが導く先に「何か」が待っていると信じずにはいられないという心性。それが本作のメインテーマであり、シャマランが偉大であり同時に中二病であるのは、それを批評的/批判的に描くのではなく、心から信じて/肯定的に描くところである。それによって映画的/批評的な評価は落ちるが、同時にコアなファンを獲得する。これは唯一無二だろう。

 最後に本作が2000年公開の映画であるというとことも忘れずに触れておきたい。大規模テロリストに想像力の上で寄り添うことが許されるのは、やはり911以前だからだろう。これは『ファイト・クラブ』が徹底的に90年代的であるのと同様だ。

 また、先に述べた友人が「ダークナイトに先んじたメタアメコミ映画を作った」というのも面白い。たとえば『キック・アス』は、シャマラン的センチメンタリズムを排したからこそその批評的営為を評価されたわけだが、それをベタにやるシャマランは、やっぱり凄い。



 
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