Saaaaa

金閣寺のSaaaaaのレビュー・感想・評価

金閣寺(1976年製作の映画)
4.3
崇拝対象者の喪失 « 裏切り者行為 »からはじまる。自分はその喪失を傍観するのみで、直接的に介入できない、非常に無力である。無力さが歯痒い。始めは歯痒さや喪失 «裏切り行為»に対して苛立ち感じていたのだが、次第に喪失する時に湧いてくる刺激にオーガズムのような刺激が合わさってしまう。喪失に対して強いオーガズムを感じるようになると、様々な喪失を経験した末に心の底から美しいと思う金閣寺を喪失してしまうとどのくらい快感なのかという考えが浮かんでくる。金閣寺を喪失するにはどうするべきか、火だ。燃やすのだ。



喪失から始まったないしは初期の段階で喪失していたのであれば、喪失することに対して恐怖心は湧かない。なぜなら既に喪失しておりこれ以上喪失はしないから。柏木に寄ってくるものは喪失することに対して強い恐怖心を抱いている人なんだろう。

美しかったものはいつかは老い、無様になる。長い目で見た時には初めから無様であったか否かなんて関係なくなる。最後はみな無様になってしまう。行き着く先は無様なのだ。そのため、早い段階で無様を見ない無様を知らない方が良いのだろう。


生きる目的とは、喪失現場を見た時に沸いてきた受動的な快楽(喪失)を能動的な快楽として回収するためであると思い希望に沸いている。ありがとう。この映画見てよかった。映画のみならず原作も一度読んでみようかな。

今まで聞いた「青い山脈」の中で群を抜いて美しい音色だった。
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