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レッツ・ゲット・ロストのROYのレビュー・感想・評価

レッツ・ゲット・ロスト(1988年製作の映画)
4.2
チェット・ベイカーのドキュメンタリー

どのシーンを切り取っても一枚のスチールとして成り立っている

若い頃のチェットのスナップ写真や彼の家族、恋人、親しい人達へのインタビュー。そこにチェットのライブ映像などがコラージュされている。

本作は、チェットが57歳の時に撮られたドキュメンタリー映画。彼は撮影直後、アムステルダムのホテルの窓から転落し、亡くなった。この映画は彼の死後に公開された。

■ハービー・ハンコックが語るチェット・ベイカーの想い出(チラシより)

◯私が初めてチェット・ベイカーの音楽をレコードで聞いたのは、1950年代私自身がジャズを始めたばかりの頃であった。私はすぐに彼の暖かさ、リリシズム、そしてデリケートなメロディ・センスにショックを受けた。
◯彼のスタイルはいわゆるクール・スクールと考えられていた。それは、マイルス・デイビスと位置を同じくするもので、実際その頃チェットは、マイルス・デイビスの玉座にとっては大いなる脅威とされていた。
◯あの頃私は、イースト・コースト・ジャズに親近感を覚えていた。イースト・コーストの音楽は腹わたをえぐるようでエネルギッシュ、そのリズムの配置においてウエスト・コーストよりも、よりブラックであった。そして、チェット・ベイカーがそのクールなカリフォルニア・スタイルで軽いスウィング・リズムを演奏していたにもかかわらず、彼はイースト・コーストから放射される大きなパワーに匹敵する妙な強さのある演奏をできる一握りのウエスト・コースト・ミュージシャンの一人だった。彼が選んだ音符は信じられない程の深みを持ち、それが私を捕らえて離さなかった。
◯しかし、チェットは演奏できただけでなく、歌も歌えた。彼は少ないがボーカルレコードも作り、最も想い出に残っているのは『Chet Baker Sings』である。彼は、スムーズでスモーキーな声で何曲かのロマンティックなバラードを歌っていた。多くの人が自分達の恋愛でチェットが重要な役割を演じてくれたと認めるだろう。
◯私が映画『ラウンド・ミッドナイト』の仕事をしていた時、初めてチェットと一緒に演奏するチャンスを得た。チェットは1曲歌と演奏を頼まれていた。そのボーカルはまさしく我々が必要としていたものであり、彼のトランペット・ソロは輝くばかりであった。私はチェットが楽譜を読めない事を忘れてしまった。そのファースト・テイクの新鮮だったこと!チェットはコードに見事について行き、まるでそれを生まれながらに知り尽くしているようだった。音符がコードを軸にくるくると回転していた。彼の直感は傷ひとつなく、彼の音楽の選択は完璧だった。その時、初めて私は、個人的にチェット・ベイカーの偉大さを悟った。私は忘れない。見事に選ばれたその音符からほとばしる彼の心と、彼の演奏に耳を傾ける時、私の奥深くで感じた温もりを・・・・。何故、それが最後の共演となってしまったのか?
◯彼のキャリアを振り返り、私は確信する。チェット・ベイカーはジャズの歴史にかけがえのない地位を築き上げたと・・。

■NOTES【理由なき反逆児】(同チラシより)
◯もし、これがハリウッド製のジャズマン映画であったならば、それはでっちあげのチェット・ベイカーとなっていただろう。理由なき反逆児、すさまじきトランペッター・・・チェット・ベイカーは、1950年代、60年代のジャズ界のスモーキーな夜に明りをともした超自然的な才能を持つトランペッターであり、その私生活は完ぺきなまさに修羅場であった。
◯ブルース・ウェーバーは、これをエキゾチックな白黒で撮影しており、それが、ベイカーを描く唯一の方法であった。それは月並みであるが、真実に他ならない。ジャズの人生は、テクニカラーの人生ではない。ウェーバーは、それを知り尽くし、そして、カラーの有利さに対して、白黒をどう使えばいいか知り尽くし、才能溢れるカメラマン、ジェフ・プレイスと共に、これを作り上げている。そして、この映画においては、カラーが発明されていないかまたは、まったく必要でないかのように思えてくるのである。
◯よく言われる事だが、映画に関して、書かれてはいないが、ひとつの鉄則がある・・・写真特にファッション出身の人間は、それが、モデルであろうとカメラマンであろうと、映画の深みを持っていない。しかし、ウェーバーは、まさしく例外である。彼は、映画作家であり、この動く肖像は、命を持っている。

ビル・コスフォード『マイアミ・ヘラルド紙』1989-02-03

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「50年代には西海岸ジャズ一のモテ男だったトランペッターの新作録音風景を、ファッション写真家が撮影。チェット・ベイカーのジャズは、雰囲気。しかし醸し出すもの無くして何が表現かと問うている。チェットに託したウェーバー自身の写真論だと思う」若木康輔『neoneo』2015-06-30

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撮影を務めたジェフ・プレイスは、のちに監督として、伝説的なジャズ・ピアニストのジョー・オーバニー(1988年没)の伝記映画『ロウダウン』を制作した。

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タイトルはアルバム『Chet Baker Sings & Plays』の1曲目に収録されている曲名からとったもの。この曲はブルース・ウェーバーにとっても、思い出深い一曲だったという。この映画のエグゼクティブ・プロデューサーであるナン・ブッシュと知り合うきっかけになったのが「Let’s Get Lost」で、2人ともこの曲の大ファンだったそう。

ウィリアム・クラクストン

リチャード・ボックが、チェットのアル・ヘイグ在籍時代に関する話と、ジェリー・マリガン・カルテットがピアノレス編成になった真相について話していた。

37年間をホテルと獄中で暮らしたジャズマン

Elvis Costello「Almost Blue」

■エピローグ
チェット・ベイカーは1988年5月13日(金)午前3時に亡くなった。58歳だった。

アムステルダムのホテルの窓から転落したものと報じられた。警察は、トランペットを持った30代男性の遺体を発見したと報告した。

その夜、パリのジャズクラブは静寂に包まれた。

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