きゃんちょめ

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団のきゃんちょめのレビュー・感想・評価

4.5
この『不死鳥の騎士団』あたりからハリーポッターシリーズはつまらなくなるといわれているらしいが、俺はまったくそうは思わない。なぜなら、そう思ってしまうのは、ハリーポッターやヴォルデモートといった、大きな物語にばかり注目しているからだろ、と思うからだ。おれはこの話はシリウス・ブラック、フレッド・ウィーズリーとジョージ・ウィーズリー、そしてセブルス・スネイプについての話だと思ってる。

そしてクソ野郎、ジェームズ・ポッターについての話でもある。

俺にとって、ハリー・ポッターは別にどうでもいい。このサーガをもう一度見る上で、サイドストーリーにこそやはり深みがあると思った。つまり、俺が注目しているのは、ハリーとダークロードたちの小競り合いなんかではなくて、それを片隅で囲む人々が見出した気づきのほうである。

シリウス・ブラックはハリーにこんなことを言う。このセリフは、クソ野郎ジェームズ・ポッターを下敷きにしていると考えると極めて面白いんじゃないだろうか。

Besides, the world isn't split into good people and Death Eaters.
世界はデスイーターと正義の味方の2つに分けられるわけじゃないんだよハリー。

We've got both light and dark inside of us.
実は我々人間は光と闇をどちらも内に秘めているんだ。

What matters is the part we choose to act on.
重要なのは、我々がそのどちらを選んで行動するかだ。

That's who we really are.
その選択が本当の自分になる。

このセリフから分かることは、ジェームズ・ポッターの中にも闇が潜んでいたということだ。そしてそれをシリウスは固有名詞を出さずに暗示しているのではないか。ちょうど、ハリーの中にもヴォルデモート卿とのコネクションがあるように、である。つまり、ハリーの内部にあるコネクションは別にハリーだけのものじゃない。だれでも内にはヴォルデモート的なものを秘めていて、そして、ジェームズ・ポッターは、内なるヴォルデモートに敗北したのである。そう考えると、この劇中で「ヴォルデモート」は人間の中に潜む、弱いものをいじめようとする醜い本性のことだとも聞こえてくる。我々には凶暴なところがある。そしてその存在を認めることすら拒絶するのが魔法省の役人たちだが、シリウスは認めるところから始めたのである。

セブルス・スネイプは、その事実、つまり、ジェームズ・ポッターがクズであることをずっと前から知っていた。認めるだけのシリウスよりも、さらに一歩先に進んで、行動までしていた。

それが、以下のセブルスとハリーの間で交わされたセリフからよく分かると思う。

You and Black, you're two of a kind.
シリウスとお前はよく似ている。

Sentimental children forever whining about how bitterly unfair your lives have been.
すぐ感傷的になる子供で、いつも、自分の受けてきた扱いを苦々しいほどアンフェアだとを嘆いてきたのだ。

Well, it may have escaped your notice but life isn't fair.
しかしだ、お前さんは、気づいていないのかもしれないが、世の中というのはそもそもが、アンフェアなんだよ。

Your blessed father knew that. In fact, he frequently saw to it.
お前の「祝福された父親」はそのことをよく知っていた。彼はいつも私にとってアンフェアであるように取り計らってくれたからな。

My father was a great man !
僕の父は偉大だった!

Your father was a swine !
いや、お前の父はブタ野郎だったよ。

このようなやり取りである。セブルスは事実を認識してセンチメンタルになるだけではなく、冷酷になる勇気を持っていた。セブルスがいかに現実の悲惨さを認めつつも、教師として耐え抜き、「それでも一歩前に出ようとする努力」を重ねてきたかがわかる。ジェームズ・ポッターにどれほどいじめられても、ダンブルドア校長に言われた通り、スパイとして活躍してきたのだ。どんな風にジェームズ・ポッターがセブルス・スネイプをいじめていたかは以下の呼び名を見ればわかる。

Snivellus Greasy

Snivelという単語はめそめそしているという意味で、セブルスと音韻的に相性がいい。Greasyは脂っこいとか不潔という意味だ。これを友達に大合唱させる中で、彼のズボンを脱がせたりしていたのだ。ドラコ・マルフォイなんかよりずっと悪質である。

なぜなら、マルフォイはクズだし、無能だし、みんなにもそれを感づかれている点で、とてもかわいいけれども、それに対してジェームズ・ポッターは、天才的なクィディッチゲームのseekerであり、友達にめぐまれていて、セブルスが大好きだったリリー・ポッターすら手に入れているからだ。ドラコ・マルフォイなんかより、ハリー・ポッターの父親のほうがよほど悪人だと思う。

ところで、少し脱線するが、注目はフレッドとジョージである。彼らはホグワーツの不当な改革(改悪)の中で、自分たちの進むべき道を見いだす。いたずらで食っていくことにするのだ。

I've always felt our futures lay outside the world of academic achievement.
ずっと思ってたんだが、俺たちの未来はアカデミズムの世界における達成の外側にあるんじゃないかな?

と言って、にこりと笑うこの双子には、無限の未来が開かれていることを予見させる。

これぞ、学園ムービーではなかろうか。制度的に硬直しきった学園というのは、そもそもある種のセンスの塊のような人間(たとえばフレッドとジョージ)にとってはクソなことだらけなのであり、そのキツさが分かって変な希望を持たないようになるまでは、這ってでも行くべきところでさえあると思う。逆にそれが分かったならドロップアウトしてもよいのだ。ドロップアウトしたからといって彼らの創造力が機能しなくなるわけではない。むしろ腐敗したアカデミアの外に出て、在野に出たことで初めて花開く才能もあるかもしれない。本来アカデミズムはフレッドとジョージのような才能を伸ばすためにあるのだが、もし自分の入ったアカデミアが硬直しきっていたら、そこから飛び出したとしても構わないのだというメッセージをこの映画は発していた。

話を戻そう。善と悪というのは、常に同居してレイヤーとして重なりあっているものなのだ。それを描ききるハリーポッターシリーズは浅いのではなく、むしろ深いのだと思う。

I'm sorry, professor.
But "I must not tell lies."

このセリフも、面白い。これは、アンブリッジ先生がハリーポッターの手に「I must not tell lies 」という文言を彫ったので、「アンブリッジ先生が無害であると言え」と言われたときに、ハリーが、「僕は嘘をつけないんですよ。先生のご指導のせいでね。」と切り返したのである。とても痛快であった。
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