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わが青春に悔なしのodyssのレビュー・感想・評価

わが青春に悔なし(1946年製作の映画)
3.0
【時代の限界】

DVDにて。
原節子が亡くなったので、彼女の主演作で未見の映画を見てみようと思ったのです。もっとも、私は彼女のファンというわけではありません。彼女をそもそも美人だと思ったことがないので。

京大滝川事件と、尾崎秀実・ゾルゲ事件を材料にしているそうです。
前者は自由主義の弾圧という点で比較的分かりやすい。この映画でも見ていてそれなりに腑に落ちる描き方をしています。
この時点での原節子は弾圧される京大教授の令嬢。年齢的には女学校を出たばかりで、京大生らとピクニックをしたりしてお茶目ぶりを発揮しています。

教授の教え子に、彼女に惹かれている学生がふたりいて、一人はかなり左翼がかっており、もう一人は穏健な現実主義という設定です。原節子は前者に惹かれている。

その後のくわしい展開は、ここでは書きませんが、後半の筋書きは少しきれい事過ぎるかな、という気がしました。

というのは、左翼学生は結局はスパイ容疑で逮捕され獄中死するのですが、彼の活動についてはこの映画では事実上触れられていないからです。

しかしモデルになった尾崎秀実は共産主義者で、ソ連こそがあるべき政治を体現した国だと信じ、ソ連のためにスパイをやったわけです。決して日本の平和のためではない。この映画ではその辺がぼかされていて、今の目で見ると戦後に平和や自由が訪れたことに対する率直な喜びは伝わってきますが、スパイ行為の内実が描かれていないために、むしろ制作側の認識の甘さが浮かび上がってきます。

もっとも、戦後の日本では左翼の影響が強かったので、ソ連或いは共産主義国家を「平和勢力」と見る人が少なくありませんでした。現在から見ればソ連は体質的にむしろナチスドイツと類似した国家だったことは明瞭なのですけれども。

ですから、この映画の原節子はたしかにすごいとは思いますけれど、作品に見られる黒澤明の認識の甘さは現在からすると減点材料になっていると言うしかないでしょう。いや、そう言うのはちょっと酷かも知れない。つまりは時代の限界であり、黒澤もそこから逃れられなかったのですね。
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