ほうゆー

メランコリアのほうゆーのネタバレレビュー・内容・結末

メランコリア(2011年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

オープニングの静止画(いや静止画じゃなくてスローモーションだけども)から最高すぎて「トリアーこんな映像つくれたんだ芸術」と惚れました。
しかし映画は中身も重要なので、以下、長々と感想を。

キルスティンダンスト、すごく良かったですね。どうしてもMJの印象が強かった彼女ですが、こんな繊細な演技が出来たのか、と感動しました。

新婚で幸せ絶頂のはずなのに、上司を罵り、式場スタッフをくってしまい、明らかに「異常」な主人公。そこから、世界が終わりに近付いて、異常と正常が反転していく。

一貫して主人公は異常なんですよね。変わっていない、というか。
なのに、世界が異常になっていくにつれて、彼女は喪っていた「普通」を取り戻したような、冷静な、話がわかる人間になる。

主人公はずっとαだとして。世界はβで出来ていて、βであることを求めていて、だからαな彼女は異質だし、異常だし、おかしい、と言われる。
でも世界がβじゃなくなって、αな(もしくはγかも知れないが、とにかくβではない)状態になると、彼女はもう異質ではないんですよね。世界に馴染んでる。

でも彼女自身は全く変わってない、ずっとαな存在。彼女という人間はなんら変わってないのに。世界の方が変化したことによって、彼女への評価が、彼女の置かれている状況まで、今までの世界と反転する。
普通とか異常ってなんなんだろ。意外にもろい。そんなに重要じゃなかったのかも。世界が勝手に思い込みで作っていただけ。そんな風に思わせられる作品でした。

鬱病による希死感なども合間っているのか、あの終わり行く世界で、希望に満ちた主人公。あれをやりきったキルスティンダンストは本当にすごいと思います。本物の気迫がありました。

また、姉(シャルロットゲンズブール)が病みすぎ、みたいな意見もたまに見ますが、個人的には、一番頑張っていたのは彼女だと思います。
子どももいる自分の家庭に、あれだけ重度の鬱症状が出ている妹を引き受けている。それだけでも神経がすり減るはずです。鬱患者と暮らすというのは、本当に骨が折れます。自身も発症してしまうケースもある。
加えて旦那への申し訳無さ、子どもへの影響も考えるでしょうし、あげく世界が終わってしまうなんて。松岡修造くらいのメンタルでなければ、耐えられないと思います。彼女は本当によく頑張った。
そんな姉が、疲れを隠そうと抑えようと配慮する、でも限界を越えていて溢れてしまう、その様をゲンズブールはうまく演じていたと思います。彼女は「くたびれた」役が本当に上手いですよね。

あと、義兄にあたるキーファーサザーランドの最期、すごく効きました。
あれが普通なんだ、と。普通こうなってしまうんだ、と、まざまざ見せつけられました。

出演者の数は多くありませんが、必要なキャラクターがしっかりおさえられていたと思います。
常識人、一家の長、頼り甲斐がある、男で、父で、夫でもある、義兄。
姉であり、母であり、妻であり、女である、実姉。
無垢な存在で、未来に繋がるはずの、子ども。
そして、主人公。

あの人数で、これだけの関係性や位置付けが配置されているのは、なかなかずば抜けた構成だと思います。

この作品、大好きなんですが、魅力を言語化しづらいんですよね。感じる映画というか。長々書いてみたのですが、一番好きな部分を、まるで記せませんでした。
小説や映画というより、抽象画のような魅力を持つ作品だと思っています。最初と最期の映像美だけでも充分に価値があると思うので、是非観ていただきたい一作です。

長々お付き合いありがとうございました。
ほうゆー

ほうゆー