Jeffrey

メランコリアのJeffreyのレビュー・感想・評価

メランコリア(2011年製作の映画)
3.0
「メランコリア」

トリアー特集、YouTubeで対談してます。

https://youtu.be/90B-T-CAGCk

冒頭、宇宙。スローに映る画。心の病、鬱。新郎との式への入場、家族の出迎え、スピーチ。左右対象大庭園、地球に奇妙な周回軌道をとる惑星が接近する。新婚夫婦、馬、星、二面性。今、破滅へ…本作はラース・フォン・トリアーが監督、脚本を務め、主演のキルスティン・ダンストがカンヌ国際映画祭主演女優賞受賞したが、監督はヒトラーを肯定する発言をした為に追放される自体が発生した。本作はうつ病だった監督がセラピーの集会に行った際にアイデアがひらめいた映画であり、デンマーク産のナチスドイツ美意識がふんだんに散りばめられた音楽プロモーション映画風のSFと言える。

主演女優賞に限っては「ピアノ・レッスン」以来のアメリカ人女優として18年ぶりに主演女優賞を獲得したとのことで、監督は世界の終わりと言う危機に直面したある姉妹の葛藤をめぐる荘厳な叙事詩として作り上げているのは誰の目からしてもわかるだろう。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」でビョークが主演女優賞、アンチクライストではシャルロット・ゲンズブールが同じくカンヌで主演女優賞受賞している。ここまでくると「奇跡の海」のエミリー・ワトソンが受賞しなかったのが非常に惜しいのである。もちろん「ドッグヴィル」のニコール・キッドマンも欠かせないが、ワトソンの芝居は最高レベルだったので個人的には。

この作品は優雅なワーグナーのトリスタンとイゾルデの調べに導かれるようにして圧倒的な映像美(映像に関してはピーター・グリーナウェイを彷仏とさせる左右シンメトリー等が非常に美しく構造的に設計されている)そしてロマンティックかつ壮大な世界観を映し出し、序章として展開されるジャスティンと惑星をめぐるイメージの数々は監督自身の自らのうつ病体験を投影しているかのような演出である。また映画史上類を見ない圧巻のエンディングには言葉を失う。


本作は冒頭に、スーパースローで写し出される1人の女性のクローズアップでファースト・ショットが始まる。カットは変わり、ほぼ左右シンメトリーの大庭園が映し出され、そこからまたスローモーションによる絵画が写し出される。すると宇宙へとカメラが飛ぶ。ここからSF叙事詩が始まるのである(第1章ジャスティンが始まるまで8分間はカット割のスローモーションが映される)。さて、物語は第一部ジャスティン、第二部クレアと展開されていく。新婦ジャスティンは新郎マイケルとともに、結婚パーティーを行われる姉夫婦の邸宅へ向かっていた。しかし2人の乗るリムジンは細かくくねった道で立ち往生して、なかなか前に進むことができない。それでも幸せな2人。予定の時刻を大幅に過ぎ、邸宅に到着した2人を、ジャスティンの姉クレアとその夫ジョンが出迎える。待ちくたびれた来賓たちを前に、ウェディングプランナーは既に気が気でない。ダイニングホールには、ジャスティンとクレアの母ギャビー、彼女の元夫でジャスティンの父デクスターらが顔を揃えていた。ようやくパーティーが始まった。

パーティーは大盛り上がり、広告会社で働くジャスティンの上司ジャックが立ち上がって、スピーチを口走る。アートディレクターへの昇進を伝えられ、心からの笑顔を見せるジャスティン。ところが悪意に満ちたギャビーのスピーチを聞く頃から、彼女は表情を暗くした。今夜は馬鹿な真似をしない約束よねとクレアから釘を刺されるが、ジャスティンは無断で式場を離れ、夜のゴルフコースへと向かう。放尿をし、星空をじっと見つめる彼女は、マイケルの精一杯のスピーチも、彼とのダンスも心から楽しむことができない。ケーキ入刀の時間になっても、部屋の浴槽に横たわったまま、疲れ切って身動きが取れないジャスティン。謝る彼女に、マイケルは2人のために購入した土地の写真を見せて優しく微笑みかける。だが、情緒不安定に陥ったジャスティンにマイケルは当惑を隠せない。資産を投じてパーティーを準備したジョンも、彼女の行動が理解できず、ジャスティンに詰め寄る。有意義な出費だったと思えるように取引しよう。必ず幸せになること。ジャスティンはうなずく。式場に戻ると、ジャックの甥で会社に入ったばかりのティムが、広告のコピーを催促してジャスティンの後をつけ回して始めた。

ジャスティンは明らかに混乱していた。野外で風船を飛ばす参列者らを横目に、マイケルに抱きかかえられて部屋に戻ったジャスティン。だが、ドレスを脱ぎ彼とキスを交わした彼女はすぐにドレスを着て1人部屋を出て行ってしまう。代わりに、彼女はゴルフコースでティムの上にまたがり、強引に彼と性行為に及ぶ。ティムを解雇したと語るジャックを罵倒し、会社を辞めることを告げるジャスティン。来賓たちが家路に着く中、マイケルもまた彼女の元を離れていった。翌朝、ジャスティンとクレアは、霧が立ち込めるゴルフコース脇の道を愛馬で駆けぬける。しかし、橋の手前まで来た途端、馬は何かに怯えて動きを止める。ふと空を見上げたジャスティンはそこにさそり座の赤い星アンタレスが存在しないことを確認する。

〜第二章クレア〜

7週間後。クレアは別荘の窓から、庭の木々がざわめくのを見ていた。彼女はアンタレスを遮り、地球に異常接近している惑星メランコリアのことが気になって仕方がない。怯える彼女を、惑星は5日後に通過し、地球に衝突する事は無いとなだめるジョン。一方で、彼はメランコリアの接近に備え、非常時の用意を整えていた。そんな中、ジャスティンが邸宅にやってくる。クレアや執事に支えられなければ歩くこともできないジャスティンは、逃れようのない虚しさにとらわれている。馬に乗ってコースをかけるも、再び橋の前で動きを止める馬に、激しく鞭を打つ彼女。その時、彼女はクレアとともに、月よりも大きくなった惑星の姿を目のあたりにする。その夜、何かに取り憑かれたかのようにナイトガウンのまま夜闇を抜けるジャスティン。彼女の後を追ったクレアは、裸のジャスティンが小川のほとりに横たわり、惑星にうっとりと微笑みかけるのを目撃する。

クレアとジョンの息子レオは、メランコリアの大きさを推定する棒状の道具を作り、惑星の接近を楽しみに待っていた。しかし、クレアは望遠鏡越しに見る青白い惑星の姿に、戦慄を覚えている。ネットで地球の軌道とメランコリアの軌道がやがて交わる画像を発見し、びっくりするクレア。しかし、ジョンは明日の夜、惑星を通過すると断言し、クレアを落ち着かせる。だが、そんなクレアに向かってジャスティンは語り続ける。地球は邪魔よ。消えても嘆く必要ないわ…と。ジャスティンは惑星が近づくにつれて、なぜか心が軽くなる感覚を覚えていた。惑星が通過する夜、ジャスティン、クレア、ジョン、そしてレオの4人は、その瞬間が訪れるのをテラスで待ち構えていた。やがて、夜空覆い、青白く染め上がっていく巨大な惑星。その美しさにクレアとジョンは息を飲む。ジョンはクレアに、レオが作った道具を手渡し言った。これを胸に当てて、輪を惑星に合わせるんだ。5分後には小さくなる。そして5分後。惑星に大気を奪われ、呼吸が荒くなるクレアの視界には、確実に小さくなっていく惑星の姿があった。しかし…と簡単に説明するとこんな感じで、冒頭から圧倒的映像美に飲み込まれて例えようのない美しさに魂を持っていかれるようである。これ冒頭のダンストがスローモーションの中でポージングするのはオフィーリア(ジョン・エヴェレット・ミレー)のグラマラスすぎるオフィーリアと重なってるのは偶然だろうか…。

なんだろう…退廃美と言うものか、登場人物の美貌だったり、憂鬱などが堪らなく、轟音と静寂の境を開いた傑作である。クルド人監督でものすごく素晴らしい作品を撮り続ける好きな監督がいるのだが、 バフマン・ゴバディの作品にはほとんどの全てに動物が出演する。邦題に限っては(原題もそうなのかもしれないが)動物の名前がつく。例えば「酔っ払った馬の時間」「ペルシャ猫を誰も知らない」「亀も空を飛ぶ」「サイの季節」などである。このトリアーの「メランコリア」にも馬と言う動物が現れる。彼の前作の作品「アンチクライスト」では狐、鹿、鴉などが出てくる。そして何よりもタルコフスキーの「惑星ソラリス」にインスパイアされているような映画では前作同様にこの作品もそうである。

それにしても自分の鬱のリハビリのために「メランコリア」を監督したと言う彼の話を聞くと変わらずにおかしな人だなと思う(褒めている)。映画を撮る目的が深刻な鬱に悩まされている自分のためのリハビリテーションなのだから。そういえばこの作品の結婚式場での食事のシーンで、ジョン・ハート演じる男がスプーンをタキシードの胸ポケットにしまってスプーンがないぞとウェイターに話す場面があるのだが、後の「インフォマニアック」でレストランのテーブルの下でスプーンを使って〇〇をするシーンが思い出される。それにしても冒頭のパーティーでのディナーの場面から一気に不安の空気が満ちて緊張感が増す演出は最高に面白い出だしである。これに心を掴まれる観客は映画に対しての構えが集中から夢中へと切り替わる。何が言いたいかと言うと、集中するのは疲れるが、夢中になってみれば一切疲れも感じずあっという間に見きれると言うことである。

余談だが、本作は当初ペネロペ・クルスが主演を務めるところだったらしいのだが、どうやらある経緯で降板したそうだ。そしてポールトーマスアンダーソンとメランコリアの話をした際にキルスティンがお勧めと言われたそうで抜擢したそうだが彼女自身うつ病の経験があるため、それも視野に入れたんじゃないかと思う。ジャスティンと言う名前はマルキ・ド・サドに由来しているのは間違いない。にしても似つかない姉妹をあえて選んだのは面白い発想だと思う。シャルロット・ゲンズブールとの相性が合ってるんだ合ってないんだかよくわからないのも良かった。長々と書いたが、映像美的には最高レベルに好みなのだが、ストーリーが退屈で多分監督の中では1番好きではない映画である。
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