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戦火の馬のnetfilmsのレビュー・感想・評価

戦火の馬(2011年製作の映画)
3.7
 第一次世界大戦前夜のイギリス。緑の丘陵地隊にある小さな村の牧場で一頭の仔馬が誕生する。その馬は4本の脚先が白く、額に菱形の白い斑点が特徴的だった。その仔馬は貧しい農夫テッド(ピーター・ミュラン)によって競り落とされ、少年アルバート(ジェレミー・アーヴァイン)の家にやってくる。ジョーイと名付けられた仔馬は、アルバートの愛情を一身に受けて、賢く気高い名馬へと成長していく。しかし戦争が始まると、アルバートが知らないうちにイギリス軍へ売られてしまうジョーイ。やがて、ニコルズ大尉(トム・ヒドルストン)の馬としてフランスの前線へと送られたジョーイは、ついにドイツ軍との決戦の時を迎えたのだったが…。

冒頭、仔馬の出産シーンを見た主人公はその崇高な生の誕生に魅了される。だが彼の家柄は貧しく、両親は昼夜問わず懸命に働いて、その土地の地主に地代を納めていた。そんな父親が酔いに任せて、地主とその馬の所有権を巡り競売で争う。無事落札し、親子は馬を家に持ち帰るが、貧しい家計の足しになる農耕馬を買ってくると思った母親は父親の突発的な判断に対し激怒する。だが息子が僕が必死で教えるからと母親を説得し、文字通り家族の生活を賭けた調教が始まるのである。ここでもアルバートがジョーイに言葉を教える「教育的」シークエンスが登場する。彼は「ホー、ホー」と口笛を吹き、その口笛の合図でジョーイに走り寄るよう一つずつ丁寧に教えるのである。この言葉が通じない対象に対し、主人公が献身的に教育を施すシークエンスは『E.T.』でも『カラーパープル』でも『オールウェイズ』でも『アミスタッド』でも何度も登場したスピルバーグの刻印に他ならない。彼は教育を通じて、コミュニケーションの取れない相手とも友情を育んでいくのである。

だが「ホー、ホー」という口笛を覚えたくらいでは、残念ながら家族の生活の足しにはなり得ない。地主は地代の期限を家族に迫り、今日払えなければここを強制退去しろと言うのだが、その屈辱的な状況になっても父親は自分の頑固なやり方の殻に閉じこもる。彼は最初からジョーイの教育を投げてしまっており、そんな父親の態度に業を煮やした息子が献身的にジョーイに接するのである。ここでもスピルバーグ映画特有の子供じみた大人と大人びた子供との対比は有効である。猟銃の銃口を向ける父親とジョーイの間に、息子が割って入る場面の父と子のどうしようもない価値観の隔たりが、やがて事件を巻き起こすことになる。馬はアルバートよりも一足早く戦地へ向かう。彼に馬の行方を任せてくれと言ったイギリス陸軍大尉も、戦況によってはその約束を果たせなくなることはわかっていたはずだが、アルバートとジョーイの友情は無残にも、残酷な戦争により引き裂かれる。

今作における第一次世界大戦下というのは、馬が戦力となった最後の時代を意味する。言うまでもなく産業の近代化は各国の戦争のスタイルを様変わりさせていった。そしてこの僅か10数年後には我が国はアメリカに原爆を落とされる国となった。この時代は馬がまだ戦力たり得た最後の時代であり、タイトルである『WAR HORSE』となるために大砲や銃の音、戦車や地雷の音に反応しないよう特別な訓練が施され、その中でも俊敏で筋肉の張りがしっかりした馬は、山の向こうに戦車や大砲や軍需物資を運ぶ役目を担うこともあった。ジョーイはもう一頭の黒い馬とともに軍人に目をつけられ、戦争の前線を渡り歩く。彼らの雇い手はイギリス軍からドイツ軍の歩兵へと渡り、その後フランス人で、戦争で両親を失った少女へ渡り、やがてドイツ軍の砲兵へとたらい回しにされる。ドイツ軍の兄弟が息をひそめるように隠れた納屋では、夜の闇の中で壁越しに近づくドイツ兵たちの懐中電灯に兄弟が怯える。そしてフランス人少女エミリーが初めてジョーイの背に乗り、希望に満ちた態度で小高い丘を勢いよく昇るとき、そこには残酷にもドイツ軍がいる。これは『太陽の帝国』における主人公が戦闘機の残骸に出会う場面に酷似している。たった一枚の窓や、一つの小高い丘を進んだだけでそこには残酷な光景が転がっている。スピルバーグはさりげなく戦争の悲惨さ残酷さを描くことに長けている。

クライマックスの戦車と対峙するジョーイが発狂する場面から、彼が孤独な疾走を続ける場面は、馬の扱いになれていない現代の作家群においても、スピルバーグがいかに馬の扱いに秀でているのかを端的に現す名場面となる。先ほど述べたように、本来前線に立つ馬には、戦車と対峙しても微動だにしない能力が要求される。しかしここでのジョーイは前後不覚に陥ったことを小刻みな前足の起立とのけぞるような体勢で伝える。そのショットがしっかり描けているか否かが大監督と凡百の監督との分かれ目となる。馬の疾走をヤヌス・カミンスキーはスピードを殺さないように様々な角度から据え、それを編集の小刻みなリズムが支える。有刺鉄線に絡まる場面は実際にプラスチックの線で試したものに、後から合成処理を施したものであり、実際に馬はその厳しい状況下で演技をしているのである。『ジョーズ』の頃から30年が経過したとはいえ、スピルバーグは馬が主演の映画を撮るために、あえてそこまでするのである。ラストのアルバートとジョーイの再会の場面は流石にスピルバーグの力みを演出に感じたものの 笑、やはり何度観ても素晴らしい戦争映画である。ラストの夕陽をバックに父親と息子、馬のシルエットがオレンジの背景を背に黒く浮かびあがる様子は、スピルバーグ×カミンスキーの一つの到達点であろう。アメリカン・ニュー・シネマとはまったく異質の影の黒である。
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