宗教勧誘についての映画という事で
人に紹介を受けて鑑賞。
宗教について正面から描いた作品はあまりなくて最近だと『星の子』だろか。
本作は新興宗教らしきものにハマってしまっておかしくなった彼氏と、彼を何とかして引き止めようとする彼女(主人公)の姿を基本2人が同棲するアパート室内だけで限定的に活写することで、目に見えない外圧によって平穏な空間が揺らいでいく危うさ・逃げ場のない息苦しさを見事に描いてる。会話のリアリティと、相手の言葉を受けてのちょっとしたリアクションの機微で違和感を読み取らせる役者陣の演技も凄まじい。
触れ込み通り『100%純愛映画』。
多分身近に怪しげなものを感じた事がない人だと『そんな人、まだ結婚してる訳じゃないんだし別れたら?』と突き放してもよさそうな関係性の2人だが、彼女は彼を見捨てる事ができず次第に狂気に近くなっていく彼を部屋の中に食い止めようと必死になる。見ていて双方とも痛々しいし、時には彼女はついに手を挙げたり精神的に不安定な部分が彼から伝染してくる。
それでも一緒に居たいのは、共依存とも惰性とも未練とも言えるだろうが、ひとえに愛なのだ。人は基本的に自分個人の安定性を好む。自分が狂っても相手を引き留めたいという程の愛を他人に向けたことはあっただろうか?とこの映画を見て感じた。
別れる時に『貴方といると何となくダメになりそう』という風に振られがちな自分には胸を突くような話で、しかしカップルが上手くいかなくて別れる時の雰囲気の典型的パターンの一つを踏襲しながら、そこにも愛があったんじゃないかと模索する監督の姿勢が嫌いになれない。
この映画の素晴らしい所は、アパート外部をほとんど描かずに社会の外圧を匂い立たせてることだ。彼は会社でパニック障害を患い退職した所から物語が始まるし、やがて彼女も精神が不安定になりが出勤する人々と電車を遠巻きに見て恐るカットが挿入される。意地が悪くも誠実なのが、その後で彼女は彼に虐待めいた事をするのだ。彼女が彼と別れたくないのは自分自身の為でもあるという共依存を示してる。
新興宗教は新たな共依存先として、これほど無いほど適任なんだろうなー。教義を理解すれば、自分は否定されないし居場所を与えられる。相手に迷惑をかける事もない。宗教の影はそうした隙間を拾い上げる。
終わりのセリフには悲痛さが漂うが、たとえ心が離別になったとしてもトイレに引きこもった彼をアパート外の窓側から箒で突き無理やり対話を試みたこの映画の白眉となるシーンの凄みは、共依存という世間的には否定的に捉えられがちな関係性すらも愛の一形態だったのではないかと思わせるような切実さがあった。