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月の砂漠のフォスフォのレビュー・感想・評価

月の砂漠(2001年製作の映画)
3.5
EUREKAの後にこういうミニマムな作品をぶれずに撮る度胸というか胆力は好ましく思った。なんか変な話というか、バラバラになった離婚寸前の夫婦だけでも話は持ちそうなんだけど、そこに隠喩的にぽっかり現実感から浮いた男娼(兼何でも屋)を使って都会と郊外の媒介にしつつ、銃撃とか父殺しがどうこうとかも撮るのは作家性だなと。とよた真帆の祖父母の幻覚要素はさいごまでよくわからんかったけど…

いままでの疑似家族的な要素がけっこうがっつりでていて、新しい時代(IT社長という設定の三上博史周辺が描写を担う)の煽りで崩れつつある家族を、田舎の一軒家という共同性の場でどう回復するか…とかなり真っ正面から青山真治の持つ主題系が撮られている。ビデオカメラ、写真、テレビなどなどの機器中心に三人家族(夫、妻、娘)がフレームに写ったり、誰かひとり枠のなかから弾かれていたり、切り返しで画面のなかに収まらなかったり、と進みつつ、誰かと誰かが共にいる(画面の中で共にいる)ことの「めんどくささ」を描きながら、それでも思い出の家の写真(いちどは妻によって捨てられた)を手にして戻ってくる。基本的にとよた真帆(母)といっしょに写り、鶏とかの夾雑物を排除して母といっしょにフレームに収まることを重視するカアイ(娘)が、なしくずしによりを戻した父と母(ここでやっと一軒家の同じ枠に夫婦が並ぶ)に怒ってでていこうとするけど、父の三上博史がその娘もかき抱くようにして三人一緒に映るとこでクライマックス。写真の使い方がかなり重要なのでここには着目したい。
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