TaiRa

ドゥ・ザ・ライト・シングのTaiRaのレビュー・感想・評価

ドゥ・ザ・ライト・シング(1989年製作の映画)
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ネットもスマホもない時代に「アメリカで黒人が生きる事」がどういう事か、世界に知らしめる重要な役割を担ってたと思う。

30年前から何も変わっていないというより、スパイク・リーが言うように「1619年に、私たちの祖先が母なるアフリカからヴァージニアへ連れてこられて以来、同じことが続いている」という事だろうと思う。「正しい事をしろ」と言いつつ、何が「正しい」かは示さない。最終的に単純なカタルシスは与えられず、虚しさとやり場のない感情が宙ぶらりんに描かれる。キング牧師とマルコムXの言葉を同列に見せながら。ラジオ・ラヒームの不屈の姿勢はカッコいいが、強さだけでは事態は好転しない。『Fight the Power』が強烈に響くが使われ方は批評的。この街には人種間の架け橋になる人物がいない。白人はプリンスを聴くし、黒人は『ナインハーフ』ごっこしてるのに。アフリカ系とイタリア系&韓国系、若者と老人、男と女の間で交わさせる議論が段々と緊張感を高める。通称・市長さんは「正しく」あろうとするが、誰からも尊敬されない。市長役のオジー・デイヴィスは黒人俳優のレジェンドであり、公民権運動家としてキング牧師やマルコムXと親交を深めた重要人物。市長が想いを寄せるマザー・シスター役のルビー・ディーとオジー・デイヴィスは夫婦。リーのデザインしたポップな映画世界の中でズッシリとした重さを担う。画面いっぱいに映る人物、もしくは密集した人物らのもたらす圧迫感。一方、ムーキーとラジオ・ラヒームが路上で会話する場面は抜けの良い背景にワイドでゆったりとした画面になってる。ここが最もゆとりがあって多幸感がある。そういう設計になってるから。
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