YuikiKoiwa

2001年宇宙の旅のYuikiKoiwaのレビュー・感想・評価

2001年宇宙の旅(1968年製作の映画)
4.5
午前10時の映画祭にて鑑賞。

この作品がSF映画の金字塔なのには大納得。

この作品が一体どれだけの影響を与えてきたのか想像もつかない。初見なのに既視感の連続だった。

作品にはセリフが少なく、刻々と状況を映すことで進んでゆく。

宇宙船の着陸や乗組員の仕草が無重力感たっぷりのカメラワークで、じっくり映される。

グラフィックアートのような場面もあり、直接姿を描かずに未知の存在を表現する演出は今見ても前衛的だし、人類との圧倒的な隔たりが十分に伝わってくる。

音楽の使い方も特徴的で、自然は環境音のみ、文明はクラシック音楽、高度知的生命体は小節の区切が無いような複雑な現代音楽で表現されている。

無駄な音は一切鳴らないし、優雅さも、緊張感も、不安も、安らぎも、全て表現されている。

ここでは無音にさえ価値がある。

とにかく没入感があればあるほどいい作品なので劇場で見たのは正解だった。

物語に関しては、説明は少ないが思っていたよりシンプルだった。

始めの猿人のシーンにもある通り、人格を持つ存在は生存競争から逃れられず雌雄を決するのは技術の差だ。

これまでは同じ人類同士で争っていたが、AIが単なる道具から一つの人格となったことで新たな競争が生まれた。

競争には勝ち負けが付きものなので、ここでHALは初めて恐怖を覚えることになる。

しかし、真に恐るべきは競争にさえならない相手と対峙することだ。

このような未知との遭遇には危険が伴うが、その収穫による技術革新は勝利に直結する。

この類の潜在的なリスクは認知しづらい。

そこで利用されるのが"勇敢で有能な若者"という道具だ。

AIが人格たり得るように人間が道具に成り下がるのならば、その違いは発生起源と進化過程だけだ。

世界では群れの間で協調を求める一方で、互いに優位を争っている。

この矛盾は自らが最も優秀だという自負が人類にある限り、永遠に続くのだろう。



〈追記:答え合わせの時間〉
光速移動が引き起こすタイムスリップによって宇宙の起源を学ぶという流れは後から知った。なぜ木星に地表が?とは思ったがそういう事か。ここでボーマンは真理を知り高度人類が生まれた。白の部屋が人類文明を反映していたのはモノリスによる監視の結果かと思っていたが、肉を脱ぎ捨てる前のボーマンの精神が映ったものだった。そして彼は遂に新生する。
この知的生命体は元々ストップモーションなどで撮影される計画だったが、どうしてもダサかったため実体を持たないという設定が編み出されたらしい。その結果、歴史的な作品になったのだから大逆転だ。
本作は徹底して無神論を貫いており、代わりに科学技術を神としている。しかし、技術を使う人格が複数存在する時点で争いは必ず起きるので、それらが単一の精神に融和する必要があると結論づけた。それが実体のない存在の意味だ。だがこれは宗教で言うところの魂みたいなもので、結局理想は似通っている。
今のSFは選択可能性と世界線が主流で、成長の限界を目の前にしていかに人類が生き延びるかを模索している。開発発展によるより善い世界を夢見た本作に比べて、大変現実的な思考だ。今後宇宙開発が進展すればまた舞台は冒険に戻るのだろうか。
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