1953年は、池田・ロバートソン会談が行われて日米安保体制が固まった年にあたり、この年各社が戦争映画をこぞって再開したが、とりわけ倒産の危機だった東映をマキノ光雄の英断で、左翼今井正を監督に起用し乍ら中立公正な解釈で、ひめゆり学徒隊の悲劇に終わらせず、花も実もある青春群像を描いた傑作となった。米軍の容赦の無い艦砲射撃と機銃掃射を掻い潜り、陸軍病院に配属された女生徒の献身的な介護や物資の運搬、日本軍後退による過酷な移動があり、遂に沖縄本島南端に追い込まれ学徒隊解散が下ると、教師と生徒の洞窟からの懸命の脱出が敢行された。教師津島恵子、岡田英次、信欣三他と、女生徒香川京子、小田切みき、渡辺美佐子等の心血漲る熱演と、女生徒の生理や身嗜み、一足の安らぎに見せた青春の躍動が素晴らしい脚本水木洋子の功績、軍医藤田進等の助演も良く一部の隙もない作品であった。