たんたんめん

回路のたんたんめんのレビュー・感想・評価

回路(2000年製作の映画)
4.3
個人的に偏愛する黒沢清作品のひとつ。ポイントはいくつもあるのだが、主要なところに絞って。

ひとつめ。当時急速に普及しつつあったインターネットが幽霊を現実世界に媒介するための主要なモチーフになっているが、当時のネットには常時接続という概念はほとんどなく(少なくとも劇中の加藤晴彦とおなじ学生だった自分には)必要な時にダイヤルアップを用いて都度接続するのが一般的だった。この、現実世界と断片的に接触する擬似世界いうネットのイメージが、この世とあの世の中間地点という劇中の設定とめちゃくちゃ親和性があった。その斬新さを現代の観客に説明するのはなかなか難しいが、とはいえ、公開からおよそ四半世紀がすぎてインターネットが日常生活の基本的なインフラになった現代においても、この世でもなくあの世でもない異界としてネットを用いるというアイディアのアクチュアリティは損なわれていない。

ふたつめ。黒沢清作品らしからぬパーソナリティの主人公。こんなに若い主人公というのも珍しかったが、とりわけ加藤晴彦演じる川島は基本的に難しいことは考えず事態に対して楽観的かつポジティブに対処するキャラクターとして描かれており、黒沢作品の乾いた世界観に新風を吹き込んでいる。ストーリーラインが分かれているもう1人の主人公、麻生久美子と後半ついに合流するあたりも胸アツで、個人的には上質な青春映画みすら感じる。エモい。

みっつめ。黒沢作品は高度な演出技術と裏腹に、脚本をはじめとするいくつかのポイントによって、全体的なバランスを欠いたいわゆる「変な映画」になりがち。という言説は間違いではないと思うし、その点こそがある種の作家性になっているのも事実だと思うが、この「回路」の後半の驚くべき飛躍は、そのバランス感覚の破綻が審美的な意味合いにおいて作品にプラスの効果を及ぼしているように思える。というのは、単純に四畳半で起こったある出来事が世界の破滅と一直線に繋がっているというセカイ系的想像力の映画における最古の発露という興奮もありつつ(新海誠のほしのこえより一年早い)、映画の結末がこの四半世紀の間にネットが及ぼした人間の世界認知や社会的ふるまいの変化そのものの、めちゃくちゃシャープな批評になっていると思うからである。

いずれにせよ、お前を殺してやるとか呪ってやるという類の言説は一切なく、ただかすかな声で「助けて」と呟き視界の隅にひっそりと佇むだけの幽霊たちが、なぜこんなにも恐ろしいのか。その映画の秘術を体験することができるという一点だけをとっても絶対に観て損はない。
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