からあげ

ソフィーの選択のからあげのネタバレレビュー・内容・結末

ソフィーの選択(1982年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

記録するの忘れてた
2022/11/15鑑賞(ゼミ課題)

 映画《ソフィーの選択》は、登場人物の関係性によって「戦争」や「死」についてリアルに観客に伝える作品であると感じた。スティンゴとソフィーの関係性についてだが、ソフィーがスティンゴに自身の過去の出来事を語るとき、彼女は何度か「あなたには理解できない」といったことを言う。そして、ソフィーはスティンゴを頼りにしたり、過去の話を打ち明けたりするものの、最終的にはネイサンとの道を選ぶこととなる。このことから、「戦争」における経験、ホロコースト時代の経験には、実際に経験した者にしかわからない辛さがあるということを観客に伝えていると感じた。一方で、ソフィーとネイサンは衝突することがありながらも、最期は同じ「死」という道を選択する。ソフィーは「戦争」という過去の辛い経験に現在も苦しめられており、ネイサンは精神疾患を抱えて苦しんでいる。抱えている悩みは異なるものの彼らは共に苦しむ存在であり、お互いがその悩みを口に出さずとも、心でそれを共有する存在であったということを示していると感じた。だからこそ、彼らはその苦しみから解放される手段として「死」しか選択できなかったのだと思った。
 こうした「死」については、ソフィーとネイサンが突然選択したものではなく、映画の初めから決まっていた選択であったと考える。初めのうちから、ネイサンは「俺たちは死ぬんだ」と言っており、ソフィーも「きっと善良な生活をしていれば、聖人のように生きて死んだら、天上の楽園ではこんなワインを飲ませてくれるのね」といった「死」を匂わせる発言をしていた。映画前半は比較的穏やかな雰囲気で、後半から苦しい内容になっていくように観客は感じるかもしれないが、それはあくまでもホロコーストを経験していない観客目線にすぎないことだと感じさせられた。映画前半の時点からソフィーやネイサンは常に苦しみを抱えており、それを誤魔化してやり過ごそうとしていたのだと考えられる。そして、彼らを繋いだエミリー・ディキンソンの詩で、「審判の日を待ちなさい。見事に晴れた審判を。のぼる朝日の黄色い音にこの血を乱されるな」という言葉があった。一方で、スティンゴの自己発見の旅が終わったとき、彼は「やがて目に入ったのは濁った川面に照り返す夜明けの光だった。審判の日ではなくただの朝だった。見事に晴れた朝だった。」と言う。この対比から、ソフィーとネイサンにとっては生きることより死ぬこと以上に生きることが辛かったのだと感じさせられた。そして、「彼らはこの地上で虐殺され裏切られ殉教者となった子友達の一部にすぎない」というスティンゴの台詞から、戦争によってこのような生きる苦しみを強いられた人々が多くいたということを観客に伝えようとしているのだと思った。
 映画全体を通して、ソフィーの周りには赤色のものが溢れていた。本作品における「色」の効果や、「詩」が表す意味について、ゼミ内でさらに理解を深めていきたい。
からあげ

からあげ