地底獣国

ヴィタールの地底獣国のレビュー・感想・評価

ヴィタール(2004年製作の映画)
3.5
「都市と人(の身体)」をテーマとした時期から「人(体)」、そのインナースペースを描く時期へのシフト。塚本監督の談では、母親が闘病の末亡くなったこと、自身が父親になったことが影響しているらしい。

浅野忠信演じる主人公高木博史は自動車事故で記憶に欠落のある医大生。解剖実習で彼の班に回ってきた遺体は事故の時助手席に座っていたガールフレンドだった。失われた記憶の代替かのように博史の中に自分と彼女が共に生きる世界線のビジョンが立ち現れ…というお話。

記憶障害のためか、普段は生気のない博史が解剖の時だけは生きる実感を得ているようにも見え、ビジョンの中で彼女が踊る姿、躍動する身体を視て触れていくうちに「こちらこそ本当だ」と感じるようになる-という心の動きは分かる、とまでは言わんが「映画(など)をみている時や映画について考えている時1番幸せ」な人間としてはちょっと共感してしまう。

それとこれは意図したものかどうかわからんけど、コンテンポラリーダンスを踊る彼女の身体、解剖台の上の彼女の遺体に共通しているのが「不自然さ」(踊っている人を見ていると「人間の体ってあんな風に曲げたり、あんな姿勢で静止できるんや」て驚かされることが少なからずある。肉体は死ねば朽ちていくものだが、教育目的の解剖体は防腐処置を施され約三年の時を経て医学生の前に姿を晒し、実習が終わったあとで荼毘に伏される)というのも興味深い。

という訳で個人的には面白い、というより魅力的なと表現する方がピンと来る感じの作品。ただし後半ある場面で博史が「まだこれからですよ」と不穏な笑みを浮かべて妙な期待を持たせた割には「いい話」っぽい着地をしたのは若干物足りない。

余談その1:浅野忠信というと最近では薮重殿に代表されるような「調子のいいこと言うキャラ」イメージが強いが昔はこういう朴訥な役も結構演ってたな。

その2:博史と同班の学生役の一人が宇野祥平だったらしいんだが全然気が付かんかった。

その3:やっぱり國村隼は怒鳴ってると何言ってるか分からなくなる。

その4:解剖実習の描写は(入念に取材しただけあって)基本的にリアリティ重視な中で、ところどころ明確な意図を持って無視してる場面があるのも面白い。
地底獣国

地底獣国