まぬままおま

カナリアのまぬままおまのレビュー・感想・評価

カナリア(2004年製作の映画)
5.0
12歳の少年・少女を主人公にした映画の最高傑作だと思います。
塩田明彦監督は天才だ。

『どこまでもいこう』は小学5年生を主人公にして、学校と放課後で生きる彼らを描いた。だが「どこまでもいこう」とは、彼らが学校や団地≒家庭という安全圏で、二人でせいぜい一万円以内の海岸という遠いところを志向することでしかなかった。もちろん『どこまでもいこう』が傑作であることは間違いないのだが、本作はその先を描いているのである。

本作は小学6年生の少年・少女の物語ではない。なぜなら主人公の光一は、母と妹と共にカルト教団に入団して学校外の世界で生きていたし、由希は暴力を振るう父がいる家庭から抜け出し、援助交際をして生きていたからだ。つまり光一と由希は、学校や家庭という安全圏から見放されている。だからこそ彼らは関西から東京へ「どこまでもいける」。

以下、ネタバレを含みます。

はじめは光一が児童養護施設から抜け出して、カルト教団の幹部となった母を捜し、祖父に引き取られ離ればなれになった妹を、祖父を殺して救い、共に暮らすことが目指される。関西から東京への冒険。そこで偶然出会ったのが、由希である。その出会いは、援助交際中の由希を乗せた車と光一の接触事故である。この場面の演出やカメラワークは本当に凄いのだが、映画的な奇跡を通して二人は関係し始める。

だが12歳の少年・少女には、さらには逃避行としての冒険であるから、準備もなければ金銭もない。だから東京に行くためには大人の力を借りなければならない。ここでの大人の力の借り方が現実だ。由希は援助交際のつてを使って、「おじさんたち」からお金をもらう。セックスはさせないし、体を触らせもしない。けれど裸体は晒す。
ここが『どこまでもいこう』や小学5年生と決定的に違うことであろう。彼らは安全圏外、法外の存在だから、大人たちと共犯関係となって金銭を得る。そして彼らはセクシュアルな存在でもある。性に無知な少年・少女ではいられない。むしろセクシュアルな部分を差し出して、大人に近づこうとする。

彼らは危険な冒険を経てもうひとつ大事なことに気づく。それは他者との共生だ。他者は学校や家庭では出会わない。同質な者でも血縁者でもないからだ。光一と由希は、レズビアンの大人二人に拾われてキャンプをする。彼女らは謎の儀式(に見える)をして、頬を打ち、キスをするクィアな存在ではある。しかし異質な他者に出会い、共に食事をすることで「靄が晴れる」。世界が広がっていくのだ。
東京では光一がかつていた教団の元信者たちに出会う。教団はテロを犯したから肩身の狭い暮らしをしているのだが、彼らは共に助け合って廃品回収業をしている。光一と由希が、彼らに会い、片時ではあるが仕事に携わり、共に食事をするのだが、これこそ本作の大きな主題であるように思う。カルト教団でも同様に信者が集い、修行を積み、理想の世界のために共生していた。しかし教団では、運命共同体として〈私〉と他者が同質化してしまう。理想の世界もまた幹部が信者の財産や富を収奪する都合のよいイデオロギーでしかなかった。そのことに気づき、それでも他者との共生を目指したからこそ、元信者は共に助け合い、仕事をして共生する道を歩んでいるのだ。西島秀俊演じるリーダー格の彰が、光一らに自分が自分でしかないこと、その徹底的な個人主義の擁護を言うのだが、個人であり、かつ個人である他者を受け入れ共生することが私にはとても重要なことのように思えるのだ。

光一と由希は、彰らのコミュニティと別れるときに金銭を受け取る。それが犯罪ではない仕事に対する正当な報酬のように思え、彼らは大人に近づく。

だが光一の家族との共生という理想は、母が教団幹部らと服毒自殺をしたニュースの一報で簡単に潰える。だがここでバットエンドとして物語が終わることはない。理想を失った彼はどう生きればいいのだろうか、物語としても分からないと観客に丸投げをするわけでもない。光一の祖父殺しの復讐を由希が代わりにするのである。途方に暮れて呆然としている光一の復讐劇が、由希という他者に託され展開していくのである。由希と祖父は対峙する。彼女の復讐の一撃が祖父に襲いかかる。しかしそこでなぜか白髪になった光一が再び現れ、止めに入るのである。大人になった光一は気づくのである。祖父を殺しても何も変わらない。未来ある妹と共に生きるのが最もいいことだと。「殺し」から「赦し」へと彼は成長したのだ。

光一と由希が手を握るとき、それは教団で光一が母と手を握ることができなかったことと対称に描かれ、彼が母(≒家族)から由希(≒他者)と共生し始めたと言えよう。そしてそれは彼が自分自身で家族といった安全圏を築くことにつながるはずだ。光一と妹と由希の3人が手をつないで歩くバックショットは、光一と由希が性的な関係にならずとも夫婦になってしまったのだと感嘆するとともに、彼らがどこにでもいける明るい未来を歩んでいる気がして、希望がもてるのだ。