そーた

猿の惑星のそーたのレビュー・感想・評価

猿の惑星(1968年製作の映画)
4.6
映画の全て、人間の全部

僕は風船が耳もとで破裂してもまったく驚かないんですが、
稀に映画の結末に仰天してしまうことがあります。

驚愕の結末と触れ込んだ映画は多々あれど、
この作品のラストを上回る衝撃は未だかつて経験していません。

不時着した惑星で宇宙飛行士達が目撃したのは猿に支配された人間の姿。
はたして、その星に隠された真実とは一体···

映画の全てに人間の全部を詰め込んだ
サイエンス・フィクションという名の皮肉。

言わずと知れたSF映画の金字塔。

新章第三弾の公開を目前に控え、
本作は紛れもないその原点です。

60年代の古臭さを大いに感じさせるも、
その古き良きB級感はむしろ当時の最先端だったのだろうし、
今見返してみればえらくアヴァンギャルドな作品に見えてしまうからなんだか不思議。

宇宙空間の描写は浮遊感たっぷりで、
不時着シーンはサイケでなんだか前衛的。
冒頭から強い表現力に満ちていておもしろい。

紀元前の英雄を数々と演じてきたチャールトン・ヘストンが、
「20世紀に未練はない」と宇宙空間を眺めながらにして言う。
そんな彼が、時代の先端に到達し気の利いた洒落を言ったようで笑えてしまいます。

宇宙飛行士という科学技術のプロフェッショナル達があてもなく荒涼とした大地をさ迷い、
星の支配者である猿類に出会うまでの間に彼らがさりげなく半裸になっていく。

科学の終焉を暗示し、人類が退化していくかのように見える鋭い演出です。

そんな序盤の皮肉めいたメッセージ性が次第に娯楽性を帯びていき、
ようやくストーリーがぐぐっと動き出す。

そこまでの持っていき方がじわりじわり焦らずじっくりで、
うまいなと感じてしまいました。

そして娯楽性を得てからは、
笑いに、ロマンスに、冒険に、サスペンスに。

あらゆる映画の要素が詰まっている。
これが映画というものです。

僕はコーネリアスとジーラのキスシーンが好き。
あと紙飛行機を見て驚くシーンも。

何だかユーモアに溢れ、映画作りに余裕を感じてしまいました。

さて、"人間らしく"人の言葉を話す猿。

彼らの社会はプリミティブではあるけれど、自戒するその生活スタイルにはある秘密が隠されているんですね。

その秘密が冒頭から続く皮肉のプロットと交わりあった時、
物語はついに衝撃的な結末を迎えます。

この結末のために序盤から綿密に組み立てられた足場。
そこから一気に転落する意表を突いた絶望感こそ、このシリーズが脈々と受け継いだ伝統。

そしてそれは、今も確かに受け継がれています。

映画の全てに人間の全部を凝縮したこの快作はやはりSF映画の金字塔。

ぼくの耳もとで破裂したのは、
人のエゴがパンパンに詰まった風船だったんだな。

あぁ、驚きました。
そーた

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