ALABAMA

砂の器のALABAMAのネタバレレビュー・内容・結末

砂の器(1974年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

松竹が贈る大作映画。松本清張原作、橋本忍、山田洋次脚本、そして野村芳太郎監督。幾度となく映像化され、そのたびに話題を呼ぶ物語。以下ネタバレですのでご注意ください。
舞台は日本全国各地に至る。事の発端は国鉄蒲田操車場にて何者かによって殺害された男の遺体が発見されたこと。てがかりはその男が殺される直前に訪れたバーで、若い男と話していたことと、会話中の「カメダ」という単語のみ。2人を結びつける共通点、さらには2人の男の生い立ちを調べるうちに、悲しい出来事へとたどり着く。
この作品の特徴は悲哀に満ちた長い物語と日本各地を縦横無尽に回るロケーション撮影、そして時間、場所を鮮明に観客に印象づける「空気」の演出だ。
現在では2時間ドラマとして親しまれている刑事モノは、よく電車で日本各地を出張している。その先駆け的なもので、その土地の雰囲気を巧みに浮かび上がらせる。夏の気だるい暑さは、役者の表情、汗を拭う動き、テカった肌、虫の声、刺すようなはっきりとした光、そして画全体の色褪せたようで鮮やかな色彩によって見事に観ているこちらもべた付くような暑さを表現している。また田舎では建物のない、ヌケの良い広い構図、都会では車が行き交い、ビルが空を覆う混み合った構図で、都会を都会的に、田舎を田舎的に撮り分けている。「暑さ」の表現ひとつにしても感じ方が変わるように丁寧に撮っている。この微妙な違いこそ映画を撮る上で監督のこだわりが見えてくる部分であり、観客がスクリーンから飛び出したフレーム内の空気を一緒に感じられる映画はこの違いの演出に長けている。
ラスト、逮捕前に警視庁内のミーティングで刑事が犯人の生い立ちを語る。その頃、犯人である作曲家の和賀英良は自身が作り上げた新曲『宿命』の演奏途中にある。この「過去」を語り、「現在」を映す場面をカットバックによって物語の絶頂に持ってきている。この残酷なカットバックが、和賀英良を無情にも追いつめる。2時間ドラマで言うと犯人が崖で自供する場面にあたる。美しく、心地よいが哀しいシーンでもある。彼は三木元巡査を殺害し、自分のその後を考え、自らの過去、出自に起因する一連の「宿命」を作品に落とし込むという最後の作業を為し遂げたところで物語は終わりを迎える。その作品を通して彼は、生き別れた父と対話し、悦を感じる。極めて個人の思いを反映させた曲。この物語にとって、事件が決着するという事は本来の意図ではない。逮捕は物語の外できっと行なわれるのであろうか、それとも和賀英良は逃げるか、自殺してしまうか。さまざまなその後を掻き立てられる。流れるように劇場の明かりがつき、観客は物語世界から抜けきる前に現実に引き戻される。「終」の文字では終われない。和賀英良は家族を愛して社会を憎んだ男。犯罪者は個人から生まれるのではなく社会が生む。世の中が、哀しくもこういった物語を紡いでしまう。
夕景の描写が非常に美しく、冒頭の砂で作られた器が印象的な作品。多くを語らない美しい映画。脚本に山田洋次が入っているのは初めて知った。
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