レインウォッチャー

フィフス・エレメントのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

フィフス・エレメント(1997年製作の映画)
4.0
突然ながら、わたしは「何も考えずに観られる映画」という表現を避けている。ずっと無思考なことなんてないし、尻を捲るようで癪だからだ。(※1)
しかし稀に、本当に「何も考えずに」…ていうか「考えたってしかたねー」ヤツに出逢えることはあって、それはそれで幸福である。例えばこの映画みたいに。

今から200年ほど後の未来で、地球に迫り来る滅亡の危機。それを救えるのは地水火風に続く第5の要素=fifth element、もとい空から降ってきた女の子だった…!

…ハア?(正解の反応)

冒頭は20世紀初頭のエジプトに宇宙からの使者がやってくる場面から始まって、壮大なSF大河的なものを予感させるのだけれど、そのテンションは早々に崩れ去る。
これは、SFである遥か以前にベタなラブストーリーで、アホなアクションで、配分をミスりまくったコメディ(※2)で…いや、敬意をこめてこう呼びたい、《大人の全力文化祭》と。

今作のプロットは、L・ベッソン監督が高校生の頃に思いついたものなのだそう。それも納得、というか中身の純度はそのままにお金や技術だけが大人になったような珍しい仕上がりになっている。
科学考証やリアリティといった言葉は100万光年彼方に置いてきた、悪く言えばテキトーで雑、良く言えば潔くてかわいー!ただ童心に帰るというのでもない、「あの頃」にしかないバランスの妄想をみんなで叶えてる。元軍人で現タクシー運転手のコーベン(B・ウィリス)に託した棚ぼたヒーロー願望は、あの頃にチューニングさえ合わせればわたしだって共感できるから、今回は「良く言えば」の方を選びたいよ。

まぁなにせまじめなキャラが一人たりともいないため、こちらとしても「考えたってしかたねー」のである。
主人公コーベンは行き当たりばったりだし、サイコな武器商人ゾーグ(G・オールドマン)は出オチのフューチャー七三分けで結局クライマックスとは関係なく爆散退場するし、ドラァグクイーン風のルビー・ロッド(C・タッカー)はずっとうるせえ。

そんな中、地球を救うキーとなるヒロイン・リールーを演じるのは、『バイオハザード』前・当時22さいのM・ジョヴォヴィッチ。
L・ベッソンと言えばやっぱり『LEON』のイメージが強かったので、彼のSF??って想像ができなかったのだけれど、彼女の造形を見ると良くわかる。ジャンルもキャラも全く違う映画に見えて、『LEON』の少女マチルダとリールーは姉妹のような魂をもつ存在なのだ。

つまり儚い少女のイノセンスと戦うヒロインの強さを併せ持ち、そして天涯孤独。主人公は彼女にとって唯一の父であり恋人、守るのも俺なら守られるのも俺(あとついでに地球)!そういえば髪型まで似てるし。

わたしはL・ベッソンさんの映画を網羅的に観られてはいないのだけれど、彼の理想で夢想の女神像はなんとなく見えてきた気がする。なにせ今作の劇中で、登場人物に「男顔負けの強い女だ、でも強さもある」とその魅力をしみじみ語らせているのだから。

『ラピュタ』の昔から『化物語』を経て、人によっては家族を養うようになったり部下を持ったりしてなお、揃わないままの5番目のエレメントがあるんじゃあないか…なんて、ふとしたときに(ガールズの目を盗んで)ぼくたちメンズは空を見上げてしまう。そのとき隣を見てみるといい、きっとL・ベッソン兄貴もそうしているのだ。
目があって笑ったら、またこのへんてこな映画を観よう。

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《大人の全力文化祭》を支える、未来小物(美術)のチープ&キュート&数の多さや、音楽の外しっぷり。なんで?ってところでラテンやレゲエがかかる他、イカ星人が歌うオペラシーンは山場となる。

そして目を引く、というか二度見不可避な衣装の数々を担当するのはなんとJ・P・ゴルチェである。
ゴルチェ×映画といえば『コックと泥棒、その妻と愛人』が思いつくけれど、今作みたいなおばか映画(※3)でこそ、そのトンチキ服(©宇垣美里)の魔魅夢力は真に輝くように思える。

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※1:念のため、使ってる方にイチャモンをつける意思は毛頭も毛根もありません。あくまでも自分が使うには納得いかなくて結石できちゃう、ってだけで。

※2:明らかに話の腰を折りすぎだし、複数の場面の別々のアクションが同期する、みたいなネタをうそでしょってくらい擦ったりする。

※3:P・アルモドバルの『KIKA』とかもありました。(あれもヘンな映画)