見る度にマゾヒスティックな気分に陥る映画鑑賞の受難、タルコフスキー。
カソリックに限らないが、宗教全般に造詣の浅い私にとって、フレスコ宗教画やバッハのマタイ受難曲は、カソリックのある一面を切り取った芸術品であるとの認識ぐらいしか無い。
核戦争はミサイルのジェット音とTVで規定なものであったとして、何故荒唐無稽なオットーの言葉が真実であるとアレキサンドルは思うに至ったのだろう?
マリアと同衾した翌朝、何もなかった様な日常が戻ったとは言え、あの核戦争の記憶こそが幻影だったとは思わないのだろうか?
本当に気がふれて、放火に至ったという考えもありそうなものなのに。
タルコフスキーを本当に理解するのにどれ程のカソリックの教養が必要なのだろうか?
非常に厄介だ。
で、何故尺八?