サクリファイスの作品情報・感想・評価

サクリファイス1986年製作の映画)

Offret/Sacrifice

製作国:

上映時間:149分

ジャンル:

4.0

「サクリファイス」に投稿された感想・評価

a

aの感想・評価

4.0
こういうのは哲学的、宗教的な教養が必要ですね。クソガキにはまだ早い
たろ

たろの感想・評価

2.8
圧倒的な脅威(核)を前にすると、何もかもおかしくなってしまうんだろう
彼は全てを捧げて守ろうとした

何が現実なのか、何が言いたいのか、
この映画が理解し難いのは、私が平和ボケしているからこそだと思う

唯一共感できたのは愛についての言葉のみでした

人の行動は何故いつもなすべきことの逆なのでしょう
頼りすぎるのが怖い
愛し合っていても愛し方は違う
片方が強く対等になれない
慎重さを欠く思慮のない方が弱くなる
映像と構図がとても美しい。厳格でありながら柔らかさを保つ。ストーリーがいまひとつピンとこない。詳しい人にでもきいてみようと思う。30年も前の映画になるが、感覚が古いと感じない。
「ギルバートグレイプ」を観ていたら家が燃えるシーンを観て「サクリファイス」のラストシーンを思い出した。なんとどちらもカメラがスヴェンニクヴィストだった。少なからず「サクリファイス」からの影響を感じる。
そんなわけで久しぶりに見返した。
natsuco

natsucoの感想・評価

3.3
中盤まで舞台を見ているよう。
綺麗な映像が続く。
宗教感が特に、よく分からなかった。
はじめ

はじめの感想・評価

2.5
む、難しすぎる…。白昼夢のように現れる映像。時々消える少年。精神世界に紛れ込んだよう。映像は全編通して美しかった。テレビ放送を眺めるシーンがゾクッとするほど気味悪い。
dude

dudeの感想・評価

3.7
タルコフスキーの作品を観ていると、映像は美しいし言っていることも分からなくはないのだが、自分はこれの良さを分かっていないという考えが先に立ってしまう。教養がないだけではなく感覚としても乗り切れないものがある。
火事の勢いすげ〜以外の感想を持つことがこれから先あるんだろうか...。
電気羊

電気羊の感想・評価

3.5
感想というより考察。
オープニングクレジットでBGMに流れるバッハの「マタイ受難曲」とダヴィンチの「当方の三賢人の礼拝」映像から強いキリスト教色が打ち出されている。
冒頭で語られる主人公が無神論者であり、登場人物がニーチェの無限回帰を語るあたりから監督の宗教観が伺われる。
映画の本題は主人公が気を失った後の夢と現実が交差するシーンから始まるのだが、BGMに尺八の音が使われていたりと原爆を落とされた日本のイメージを反映させたものとなっている。
核戦争という圧倒的な惨状の前では、無神論者であろうとも神に祈ることしかできないのであったのだが、ここからがパラレル・ワールドの始まりとなる。
核戦争前の世界へ戻す願いを叶えるにはタイトルである「サクリファイス=代償」が必要であり、それは聖母マリアと同名のメイドのマリアによって叶えられるという啓示を受ける。マリアに受け入れられた主人公が目覚めると元通りの平和な世界を取り戻せたことを知り、代償として自らの全てを焼き払うのだった。ラストで主人公の乗った救急車を自転車で追いかけてきたマリアと声をなくした息子が生命の樹に水をやるシーンはダヴィンチの「当方の三賢人の礼拝」を現したものか。
結局、代償や犠牲がなければ、あらゆる願いは叶えられることがないってことなんだね。
うまいカツ丼食うには高い金を払わねばならない。受験に合格するには遊ぶ時間と寝る時間を削って勉強せねばならない。侵略を受けないためには優れた外交術と自衛手段を持たねばならない。とかとか。
sue

sueの感想・評価

5.0
あまりに美しく、繊細で、悲しみすらも水のように透き通ったポエティックな映像美は、タルコフスキーを映像の詩人と呼ぶに相応しく、たった2時間28分33秒の一瞬をまるで祈りのような永遠へと変えている
わいじ

わいじの感想・評価

4.0
天才タルコフスキーの遺作。
映像そのものが詩。
東方三博士の礼拝を背景に、スタッフロールから始まる。
神を信じないアレクサンデル。
言葉を話すことができない幼い息子。
全ては言葉が先立つ、という郵便屋のオットー。
友人の医師の誕生日に集まった彼らに、高価で機長なプレゼントを渡す。
そんな貴重なものは貰えない、と固辞するが、犠牲がなければ贈りものではない、という。
そんな中異変が起こる。テレビでは終末戦争が起こったと報道があり、外出を控えるよう政府が達しをだす。
パニックになる婦人。
世界の終わりを予期したアレクサンデルは、自らの家族も家もいらない、だから助けてくれと神に懇願する。
起きると医師から、家政婦のマリアは悪魔で、彼女と寝れば世界を救われる、とにわかには信じがたい話を聞かされる。
一人暮らしの彼女の家へ向かい、救うよう懇願するアレクサンデル。
願を聞き入れたマリアは彼を抱き、宙に浮いた二人は体を寄せ合い眠りにつく。
眠りから覚めたアレクサンデルは、終末戦争などなかったのような日常に戻ったことを知り、神との約束どおり、自らの家に火をつける。
精神錯乱者とみちがわれ病院に向かうアレクサンデル。
家から離れた場所に植えた木のそばで横に寝そべる息子が言葉を話す。
言葉はすべてに先立つものだ、なぜなの、パパ。といい太陽の光が当たる木の先のカット。
そして確信を持って息子に捧ぐ、というタルコフスキーのメッセージとともに映画は終わる。
救済は犠牲によって成り立つ。犠牲がなければ何を得ることはできないのか。
母なるマリアは悪魔の役割も持つ。代償により世界を救う聖母でもある。
私はこの絵が怖い、レオナルトは苦手なのですという医師。
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