三樹夫

ソーシャル・ネットワークの三樹夫のレビュー・感想・評価

ソーシャル・ネットワーク(2010年製作の映画)
3.9
この映画はマーク・ザッカーバーグの伝記でもFacebookの映画でもない。21世紀の学園ものの『市民ケーン』という映画になっている。実際のマーク・ザッカーバーグとこの映画のマーク・ザッカーバーグは結構違う人物だし、Facebookについて何の興味もない映画なのは、劇中Facebookについての描写が殆ど無いことからも分かる。
エリカは「薔薇の蕾」で、マーク・ザッカーバーグの人生の中で輝けるもの、一番手に入れたいが手に入れられないものだ。マーク・ザッカーバーグがFacebookを拡大していくのはエリカに振り向いてもらいたいがためで、Facebookがいくら成功していようとも彼は孤独な人物として描かれ、さらに友達すら失う。ショーン・パーカーが何故Napsterを立ち上げたかが劇中語られるが、これはマーク・ザッカーバーグも同じなんですよということが示されている。

この映画は『ファイト・クラブ』においてカウンターを食らわされていた資本主義に踊らされている側の人にフォーカスが当てられている。ショーン・パーカーは出てきた瞬間に、こいつ空っぽ野郎だというのが分かる。ほとんどの人物がキモいというか全く好感の持てない人物ばかりだ。金持ち双子とその金魚のフンとか、フラタニティ仕切ってる連中やそこに出入りする連中の不快感が凄い。なんか調子こいてるけど中身は空っぽだ。個人的に一番不快なのはフラタニティの面接やってる連中で、支配者ごっこというか、代々ああいった振る舞いは引き継がれているのだろうが、よくそこに乗っかれるなと思う。自分は選ぶ側みたいに思っているのが嫌。
さらに輪をかけて好感が持てないのが主人公だ。冒頭のエリカとのやり取りでムリムリムリムリとなる。ただし彼は悪気があるわけではなく、完全にアスペルガーとして描かれており、人の感情やコミュニケーションの取り方が分からない人物となっている。

Facebookでいくら成功して周りから崇め奉られようが、いくら金稼ごうが何一つマーク・ザッカーバーグの心を満たすものではない。ここら辺は『ファイト・クラブ』と共通する。劇中マーク・ザッカーバーグが凄い早口で話すが、これは分量の多い脚本を2時間に収めるために早口で話させている。またアスペルガー的なキャラクターの表現でもある。
劇中のFacebookの立ち上げのきっかけが、女学生の中で誰が一番可愛いかの投票だったり、ハーバードの学生がやるための相手探しなど、本当に何から何まで好感が持てないものだらけの映画となっている。好感の持てない主人公が好感の持てない世界で成功していき、金と地位はあるが結局孤独で、人生とはと考えさせられる。そしてマーク・ザッカーバーグは絶対にエリカに振り向いてもらえないし、Facebookでも友達になってもらえないだろう。
三樹夫

三樹夫