ひでG

一人息子のひでGのレビュー・感想・評価

一人息子(1936年製作の映画)
4.2
昨年の「ひでGアワード」(自分のベスト映画みたいなの😅)で、
「配信部門」の監督賞に(せん越ながら、)小津安二郎監督を選ばせてもらった。

Filmarksのおかげで、観た作品をもう一度、
振り返り、自分なりに消化し直す作業を行い、以前よりも少し映画について深く考える習慣がついたように思える。

その中でよく考えるのが、「映画って何だろう?」っていう根源的な疑問が、
「映画をあらすじだけで観ない、判断しない。」ってのがある。

もちろん、「えっ!こんなことになるなんて!」みたいに、筋で楽しむものもたくさんあるし、それも映画の醍醐味だ。

でも、あらすじで書けば、たわいないことでもじっくり「絵」として観せ、その中にとても重厚なメッセージを盛り込んでくる映画作家と呼ばれる人たちが古今東西数多いる。

遅ればせながら、小津安二郎という人は、まさにその代表だ。

前振りが長くなったが、この映画は、小津にとって初トーキーの1936年作品。
音声がやや劣化しているが、映画としての質は 年経っても色褪せない。

先程の「あらすじ映画論」で言えば、
「母ひとり子ひとりの親子、息子が中学進学と共に東京に出て行き、ずっと都会で暮らしている。そこを年老いた母が訪ねて行く。」ただそれだけのお話である。

目新しい事件は起きないのだが、たた一点、ある小さな事件が母と子の心情を大きく揺さぶるのだ。

あらすじは関係ない、と言い放ったが、こーゆー小さな出来事が人物たちに影響を与えて、さざなみのように広がっていく様が、
「上手いんだよなあ〰」

母の手一つで育てて来た一人息子、
でも、息子の生活は、母が思い描いていたそれとは異なるものだった。

息子は、「自分なりに努力した。東京では夜学の先生になるだって、やっとなんだ。」と母の前で嘆く。

母は母で、「お前を女手ひとつで育てた。」と今までの苦労を嘆き悲しむ。

この夜中の母子の会話のシーンが何とも痛々しく、哀しい。お互いそんなことは言い合いたくない。感謝だってしている。東京での生活が大変なのだって分かっている。

誰も悪くない、でも、人生は思うようには回ってくれない。

観客の感じた無力感や切なさを、画面では、
母子の会話を隣の部屋から聞いている嫁という存在を通して、見せて行く。

嫁の位置から聞こえる二人の会話、トーキー初でも天才は天才。音がどこからどのように聞こえたら、より効果的なのか、全て分かっていらっしゃる。

美しい構図といい、ショットの繋ぎ方による心地よいテンポ感といい、
画面という「絵」が雄弁に、多くの意味とチカラを持っている。

まさに、「映画のチカラ」を感じさせる珠玉の名作だ!

まだまだ、僕の観るチカラも、伝えるチカラも足りないけれど、その凄さは見つけることができました。

また一つ、小津マジックに出逢えた一本でした。
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