SANKOU

一人息子のSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

一人息子(1936年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

清貧という言葉があるように、貧しく慎ましく生きることこそ美徳なのかもしれない。もちろん明日食うものにも困るというような状態になってしまっては大変だが、もう少しお金があれば欲しいものが買えるのになあという程には貧乏である方が、人や物の有り難みが分かるのではないだろうか。
信州で暮らす貧しい母子。息子は成績優秀で中学へ進学したいと考えているが、とても今の生活環境では叶わないと諦めている。しかし母親は自分の苦労よりも、息子が良い学校を出て出世することが大事だと考え、彼に夢を託す。
時は流れ母親は東京へ出た一人息子の元へ訪れる。息子は何と嫁を貰っていて、幼い子供までいるのだが、そのことを母親に報せていなかった。その理由はいずれ明らかになるのだが、母親の前で不自然な程の笑みを見せる息子の姿が、何か彼の中にある闇を表しているように感じた。
彼は大学まで出たのに、なかなか東京で思い通りの仕事につけず、今は夜学の教師をしている。給料はとても安く生活していくだけで精一杯だ。彼はせっかく東京から出てきた母親のために、同僚から金を借りてまでもてなそうとする。
背伸びをするように母親の前では羽振りのいい態度を取る息子だが、彼はぼそりと東京に出てきたものの、やはり人の多いこの場所では出世出来る人間は一握りであり、自分はもう将来を諦めているのだともらしてしまう。
その言葉にショックを受ける母親。彼女は自分は貧しくて苦労したが、それもこれも息子の出世を願ってのことだった。それなのに息子がもう将来を諦めているなんてあんまりではないかと。
息子は信州と東京は状況が違うんだと説明するが、母親は東京でも出世する人間はいる、問題はお前の心根にあるのだと責める。その言葉を聞いた息子の妻がひっそりと泣く姿が印象的だった。
妻は必要のない着物を売り払って、そのお金で母親と一緒に東京観光をして来るように息子を促す。
家族揃って出掛けようとした時に、隣家の子供が馬に蹴られたと報せが入る。慌てて息子は子供の倒れている場所に駆けつけ、ぐったりと動かない子供を病院に連れていく。幸い命に別状はなかった。息子は隣家の婦人にこれを役立ててくださいと東京観光で使うはずだった金を渡す。
その晩、母親は息子に今日ほどお前を立派だと感じたことはない、例え東京のどんな場所に連れていってもらってもこれ以上の感動は味わえなかったと語る。
自分も貧乏をしたから、困っている時に隣人の助けがどれほど有り難いかが身に染みて分かっている。
もしかしたら出世出来なかったことが、良かったのかもしれないなあという母親の言葉に胸が熱くなった。
人は永遠に満たされることはない。なまじ贅沢が出来るほどの金を手にしてしまうと、かえってけち臭くなったり、必要のないものを手にしてしまったり、思いやりの心を忘れてしまうこともある。
息子は本当はもっと自分が立派になってから母親に会いに来て欲しかった。だから結婚しても子どもが出来ても、母親を呼ぶことが出来なかった。
東京にいては息子に気を使わせてしまうと母親は信州に帰っていく。同僚に息子のことを聞かれると、立派になっていたよと答える母親だが、やはり一人になった時には寂しさを隠すことが出来ない。
息子は妻に宣言する。自分はもっと勉強して、きっと立派になってみせると。
小津安二郎監督初のトーキー作品であり、まだ戦前の映画でもある。日本人の貧しく慎ましい心を、やがて戦争に入り「贅沢は敵だ」と軍部は利用することになるのだが、いつの時代でも人の心はこうあるべきではないのかと考えさせられる作品だった。
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