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杉の子たちの50年 -学童疎開からの明日へのメッセージ-のニューランドのレビュー・感想・評価

3.4
✔️🔸『杉の子たちの50年 学童疎開から明日へのメッセージ』(3.4) 及び🔸『ベアテの贈り物』(3.1)▶️▶️

 『杉の子~』。ブアマン監督の最高傑作の一本は英国学童疎開を扱った作だが、それが何本もできてしまうくらいの、世界観の広さ・神経の細やかさ・人間への優しさの詰まった、鑑賞必須学校教材にしたいくらいの、これまで一面的にしか描かれてこなかった素材の、貴重な集成作品だ。当時の写真・遺品・資料の、現在の舞台の町や自然や車からの主観光景、を丁寧に組み入れながら、生存し活動してる、当時の学童・教師・寮母・地元の人らの語りは、ズームや細かなサイズ変更の細やか切り替えを取分け持ち、身近で胸が痛くなるような、内容と精度を持つ。語る人たは先行して行った英独の運用の問題点(家族絆の分断から)や戦後福祉立法への展開も参照しつつ、戦争の市民生活を捲き込む飛行機のウエイト大から、昭和19年の閣議決定から始まった全国規模の、東京23区ら都市部や沖縄から静岡・山梨・千葉らの山間部への国民学校の学童疎開の実像(東北などへの二次疎開は,付帯的に)を、戦後の家族を失った惨禍からの立直り・元師弟や学童の交流と研究普及まで及んで描き、聞き取りしてく。沖縄は本土への疎開での輸送船襲撃を受け、疎開地への無差別掃射の被害も増してく。疎開地の東海への二度にわたる関東大震災クラスの地震と報道規制、上級生の専横・いじめや食料不公平、日に日に乏しくなる食糧、親元の東京都など大都市の爆撃増し家族の死亡などが襲いくる。それでも、家族の奇跡のような面会努力と実現はなされ、貴重な記憶は遺される。敗戦は新しい出発とも捉えられるも、親族に引き取られても、女中扱いでしかなく決意を促される。一年位の疎開でも、人により心の傷の大きさは異なるが、連絡協議会の結束は発展の側が大きく、若い世代へ伝える歴史化・文献化の運動が強まってく。死や欠損・飢えや孤立が常に張り付いた日々。
 作者の視線の細やかさと柔軟広さと、当事者・証言者の後ろ向きと無縁の健気さ・発展前向きには、都度引き込まれ、逆に新鮮なものがこちらに生じてく。内容やら在り方、有りそうでない貴重な作。
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 この作家はもう一本観る。『ベアテ~』。今、亡き父の演奏レコードを訪ねて来日した老婦人の、ユダヤ人で多大な影響力を持っていた名ピアニストで教育家の父を通しての、日本滞在10年前後の生活に親しみ・文化交流の一助をなした若年史と、戦後すぐ父母の安否の確認の為に軍籍を取って来日した時、日本国憲法の男女同権の草案を担当し、その後もその実施や世界と繋がる根の張り方に、恒に注意尽力を怠らなかった、後年史。政治や日本人意識の改革の歴史を無理なく易しく見ててゆく作。現在の出逢い・講演・回想譚や、旧いフィルムや資料を、角張らずに組立てながしてく。
 憲法で彼女は婦人と労働者の地位向上を譲らなかったも、実際には困難や遮りは絶えなかった。戦前からの婦人参政権や男女雇用均等の運動の流れを汲み、官庁や政治家・大企業内役員のトップクラスに卑下なく入り込み、国際婦人年らの運動との連動を怠らず、らにどんどん連携進出の現れは、市川房枝らを頂点にしてどんどん根付き、細部まで動き力を持つ・婦人少年局の維持固執が地方の隅々迄拡大へ、憲法の及ばぬ個人対個人に民法の援用、肩たたきや左遷に出世レース脱落にあくまで抵抗、らが、繋がるエピソードとして枝葉のように語られ、存命健在の人らが意気軒昂に述べてく。やや、斜めから入った構成が最後まで軽さを拭えない形に結び付いてる気はする。
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