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盲獣のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

盲獣(1969年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

ファッションモデルの島アキは、自分のヌード写真が展示してある個展会場で、奇妙な男を目撃する。彼はアキをモデルにした石膏裸像を丹念に撫で廻していた。数日後、アキはマッサージ師として現れたその男に誘拐され、とある家の地下室へと連れ込まれる。そこで見たのは女性の様々な部位をかたどったオブジェの数々だった…。

これぞフェチズムの極地!
江戸川乱歩原作、増村保造監督が描く狂気の愛の世界を描いたサスペンス・ホラーのカルト的傑作。

生まれながらにして全盲の男・道夫は、その慰みとして「触覚」の世界を見い出し、母親は父の莫大な遺産を使い、息子が満足する芸術を造らせている。
一軒家の中に女体の部分の彫刻が、辺り一面に並ぶシュールな光景は圧巻。
美術スタッフの努力が偲ばれる圧倒的な物量の空間は、まるでシュレリアリスムの絵画世界のようだ。

拉致されたアキは、道夫と共にこの家の地下室で暮らすようになる。
監禁され自由を奪われたアキは、女の色香と肉体を武器に、徐々に主導権を握り、道夫を手玉にとっていく。
それは道夫を虜にして、いずれは隙を見て逃げ出す作戦なのだが、それを察した息子を溺愛する道夫の母親は、若いアキに嫉妬する。

マザコンで世間知らずの道夫を演じる船越英二、小悪魔的魅力の演技が光る緑魔子はタイプキャストとしてハマり役。
そして、息子が生身の女と親密になるのを喜びつつも、息子を取られたくないと身悶える母親の独占欲を表現する千石規子が絶品だ。

母親の視線を感じつつ、道夫の芸術に「一肌脱ぐ」うち、美しさを増していくアキ。
次第にアキは「見られる」というマゾヒスティックな快感を覚えていく。

しかし、嫉妬からアキを逃そうとした母親に激怒した道夫は、勢い余って母親を殺害。
アキは逃げようとするが、道夫に捕まる。
邪魔者がいなくなった道夫は遂にアキを力づくで犯す。
2人は時間を忘れて情欲に溺れる。
自分だけを愛し、母親をも犠牲にした道夫を、やがてアキは愛するようになる。

邪魔者の母親が居なくなった2人は、愛し合いながら幸せに暮らしましたとさ…、とはならない!
この作品はここからフェチズムの深さを見せつけるのである。

暗い地下室でアキも視力を失っていき、道夫と同じ触覚の喜びに溺れていく。
2人は、より強い刺激を求め始める。
お互いの体を噛みあい、叩き合い、やがて器具を使って傷つけ合う。
互いの血を啜り合うようになり、衰弱した2人は死期の近いことを悟る。
痛みと共に究極の快楽の喜びが得られるはずだとアキは道夫に自分の手足を切り取ることを要求。
道夫は包丁と木槌を使ってアキの四肢を切断。そして最後に自分の胸に包丁を突き刺して果てる。

肉体の触覚では満足せず、その中身までも愛し尽くそうと痛覚に発展する。
痛みと快楽が同義となり、「滅びゆく」ことが「生きている」実感となってしまった皮肉。
その寝食を忘れて、常人には理解しがたい感覚を使い、互いの肉体にのめり込み、愛し合う様は、まさにフェチズム=「偏愛」。
しかも、映像では直接的に血が流れたり、切断された手足が転がるような直接的な映像は無く、盲目となった2人のように、見る者に脳内で補完させる演出が秀逸。

女を監禁し溺愛・飼育する映画は数多あるが、そのどれよりも強烈な展開。
アキを捜索する外部の様子がないのが残念だが、ワンシチュエーションであるが故に、お互いの体を傷つけ合い、死に至らしめる姿が、究極の極致まで辿り着こうとする2人の支え合い(愛)にすら見えてくる。

巨大な女体のオブジェが道夫(とアキ)の狂おしい情念なのだとすれば、その上でちっぽけに死す2人が哀れだ。
その道を極めるために、生命をも捨てることは虚しいことだとさえ思えてくる。
また、逆にそこまで心血を注げるものかと羨ましくもある。

現代のコンプライアンスに縛られた世の中ではもうこのような表現は無理なのか?
人権とか性差別など非難を恐れた無難で上品な映画ばかり。

本作の原作者、江戸川乱歩は芸術至上主義者で耽美主義者であり、増村保造監督の演出も半端ではない。
決して「健全」とは言えないこのような作品も文化の一部であり、人生の反面教師でもある。
人生における毒や不条理、多様な人間性に理解も共感もせず、好きなモノしか見ないから、知ろうとしない心の引き篭もりが増えるのだ。
現代の若者の多くは、道夫である。

日本映画の古き良き時代にまだまだ埋もれたカルト作があるに違いない。
フェチズムの極地に触れる執拗な情念を感じさせる作品だ。
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