そーた

菊次郎の夏のそーたのレビュー・感想・評価

菊次郎の夏(1999年製作の映画)
3.6
ロードムービーの亜種

うまく評価が出来ない映画があるとするならば僕はこの映画を推します。

なんというか、
他のどの映画ともそりが合わず、
まさに孤高。

果たして面白いのか、面白くないのか、もはやそれも分からない。

小難しいわけでもない。
恐らく至って単純な映画なんだと思います。

だからといって、北野武ワールドとまとめてしまうのは非常につまらない。

ならば、もう自由闊達にいきたい。

よし、前からずっと思っていたことを酔いにまかせてみよう。

今回はダラダラ、
思い付いた事を延々と。

たまには、こういうのもいいかな。

世間から大幅にはみ出た中年菊次郎が、いかにも幸の薄そうな少年正男と過ごしたひと夏を描くロードムービー。

とにかく、ビートたけし演じる菊次郎の傍若無人っぷりが凄まじい。

正男の為とはいえ、
行う行為の一つ一つは一線を越えてしまいそうなものばかり。
というかもはや一線を越えてしまってるものが多くある。

ほぼ犯罪な行為を犯罪と認識していないところに、
何というか菊次郎なりのモラルがあるようで、
ある意味それがファンタジーのような振り切れた雰囲気を醸し出している。

それがこの映画の魅力であるし、
そして大いに悩ましいところ。

この映画ね、
日本映画で代表的なロードムービーとされているようだけれど、
ロードムービーの中でもかなりの異色だと僕は思います。

ロードムービーの亜種です。

僕はロードムービーって、
①行きっぱなし型
②行って帰る型
の二つに分類できると思っているの。

①には『モーターサイクル・ダイアリーズ』だとか『テルマ&ルイーズ』なんかが該当してて、一番多い型。

②はあんましみない型で、『ナッシング・トゥ・ルーズ』や『マッドマックス 怒りのデスロード』なんかが該当している。

一見するとこの映画は②なんですよね。

でも①と②で共通して言える事に、
登場人物の心情の変化がある。

この作品をみる限り、
僕には菊次郎に何かしらの変化があったように見えないんです。

そりゃ、正男と出会って絆を深めたという変化はありましたよ。

でも、その後の人生を劇的に変えるような変化は菊次郎にとって一切ないんじゃないか。

だから、②に当てはまるかが何とも怪しい。

それでね、そもそもロードムービーってなんなんでしょうか。

多かれ少なかれ逃避を描いている事が主だと僕は思うんだけれど、
その逃避の中で、
自分の所属先から完全に逃れて新天地を探すか(①の型)、
それとも自分の所属先に戻って自身や属する組織になにがしかの変化をもたらすか(②の型)をするわけです。

じゃあ、菊次郎はどうか。

①のように、どこからか逃れているわけじゃ無さそうだし、
②のように、旅を通した自身の成長や、生活環境の変化も無さそうです。

正男からすれば、変化はあったかもしれない。
でもこの映画のタイトルにあるようにこの映画では菊次郎が主体なんですよね。

だから、菊次郎は少年との旅をしても特に何も変化がない所にロードムービーとしての明らかな欠陥があるわけです。

彼は終始彼のルールで行動し、
彼なりのモラルや法がある。
価値基準がある。

それらは僕らが知っている社会規範から大幅に逸脱しているように見えるんです。

でも映画として彼の逸脱は見事に成立している。

ここが正にファンタジーなんですよ。

そう。
でも、それはこう考えてみたらどうでしょう。

菊次郎はそもそも移動なんかしていない。

ロードムービーって、旅をする前に属する組織や社会があって、
旅を通して全く別種の世界へ移動します。

菊次郎も物理的な移動はしているけれど、精神的に本人はまったく別の世界に来たとは思っていない。

これ。
菊次郎は社会にいながらにして、
その内部に更に自分の社会を作り上げて、その中で生活しているんですよ。

二重構造をした社会を作り上げている。

細胞小器官であるミトコンドリアが宿主と異なるDNAを独自に持っていたり、
封建社会の中で独自ルールで守られた「都市」が成立したり、
そんなのと同じような事が起きてしまっている。

だから、どんな社会やどんな場所にいても彼は自分の世界に属したままでいられる。

物理的に移動をしても、精神的には移動をしていないというわけなんです。

僕はこの線でこの映画を見つめたい。

この線は非常におもしろい。
感慨深い。

だからこその亜種なんですよ。

そう、そして考えてみればね、
北野武ってなんだか社会の中にいながら、別種のルールで生きている人々にスポットを当てているんじゃないかと勘ぐりたくなってしまうの。

ヤクザとかね。

というか、北野武自身がもはやそんな存在に近い気がしてしまう。

それって本当に凄いこと。
実に羨ましいこと、憧れること。

そんな目線でこの映画を捉えてみれば、
北野武だから作り上げられた作品なんだろうなと思える。

できるべくしてできた何とも奇跡的な映画なんでしょうね。

あぁ、明日の朝、
このレビューを書いたことを後悔しそうだけど、
まぁ、いいんじゃないかな。

こんな事、シラフでやりたいもんですね。
そーた

そーた