監督:舛田利雄、脚本:笠原和夫、原作:笠原和夫、瀬島龍三、原四郎、千早正隆。日露戦争の開戦や二百三高地の戦いを描いたもの。
第4回 日本アカデミー賞(1981年)、助演男優賞(丹波哲郎)、ノミネート、作品賞、監督賞 舛田利雄、脚本賞 笠原和夫、助演女優賞(夏目雅子)、音楽賞 山本直純。
十九世紀末、大英帝国を始め、多くの欧州の列強が植民地政策を進める中、露の南下政策は満州から朝鮮にまで及び、誕生間もない明治維新政府と衝突。軍事力、経済力ともに弱小な日本にとって、開戦か外交による妥協か、露の強大さを熟知する伊藤博文(森繁久彌)は戦争回避を主張。
伊藤は参謀本部次長の児玉源太郎(丹波哲郎)と会見、対露戦の勝算を問う。児玉は早いうちにロシアに打撃を与え、講和に持ち込むしか勝つ道はないと訴えた。明治三十七年二月四日、御前会議で明治天皇(三船敏郎)は開戦の決議に裁可を下した。ここに日露戦争の幕が切っておとされた。
陸軍は新たに第三軍を編成、司令官に乃木希典(仲代達矢)を命じた。旅順の陥落が乃木にかせられた任務だったが、露はここに世界一という大要塞を築いていた。
3時間は長い。バルチック艦隊との海戦も入れれば、3時間でも面白いと思いますが、第一次世界大戦の特徴の塹壕や突撃ばかりではつまらないし、乃木将軍へのバッシングが意図的に誇張され過ぎ。
父は、本部の通信将校で他の部署の将校とも仲が良かったですが、乃木将軍の真摯な姿は教科書でも紹介されている。当時、乃木さんも含め、留学経験のある人たちは皆、開戦に反対し、強行したのは世界を知らないお偉方たち。
一進一退が続き死者が増えた時は、他の将軍も含め、陸軍への世論は厳しい評価。しかし自らの息子を二人亡くしたり、厳しくも情に厚く、乃木さんの為ならという将兵は多かったのも事実だそう。
乃木将軍は、調印式でも、露の将校たちの名誉と誇りを保つ為に、紳士的に接し、異例だが帯剣を認め写真撮影をする。後々まで恥をさらす写真は武士道に反すると説明。戦争中に、息子二人が戦死するが人前では涙を流さず耐えた人柄も含め、海外でも評価された将軍。
学習院の学長になった時、生徒たちと寝食を共にし、遠泳や剣術をする笑顔の写真は、人のいい、好好翁の顔。空き時間はジョークを飛ばし笑わせていたのは、二人の息子を亡くしていたからなのかと思う。もともとは、学者肌の人だった。
日露戦争勝利は、良くも悪くも、軍事国家の道を歩むことになる。後に日本が負けたのは、スパイなど情報収集の弱さ、最初は優位だったが戦闘機の劣位、拡大する戦闘地域への物資補給の弱さ。一方、第二次世界大戦では、米国を中心に、コンピューターとロジスティクスが躍進する。
亡くなった恋人の部下の子供を引き取る、ヒロインの夏目雅子さんの笑顔がまぶしく、当時の映画の華を感じます。音楽でも、注目を浴びました。
音楽:山本直純、主題歌:さだまさし「防人の詩」。