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僕の村は戦場だったのFancyDressのレビュー・感想・評価

僕の村は戦場だった(1962年製作の映画)
4.5
昔、「惑星ソラリス」を某ミニシアターで見て、いい感じに熟睡できたので、以後、タルコフスキー作品を見るのを避けてきたが、先程、彼の長編1作目の「僕の村は戦場だった」を見た。寝なかった。てか、本作は、かなり良かった。

第二次世界大戦下、独ソ戦で父親が戦死し、ドイツ兵の手により、母親と妹を失って孤児となった少年イワン。彼は、その憎しみからか、幼くして、パルチザンに参加後、ソビエト赤軍に入り最前線で偵察任務をしている。
そんな、少年イワンを周りの大人たちは、気遣い、幼年学校に入れようとするのだが、彼はそれを拒み、戦火の最前線に居続けようとする。そんな彼の目は殺気だっていて表情は無表情に近いのだが、彼は、時折、母や妹との楽しかった日々の白昼夢を見る。その白昼夢の中での少年は楽しそうな表情をする。この現実の戦争の日々と夢の楽しかった日々の描き方のコントラストが見事。

そして、タルコフスキーといえば、水や火の描き方の感覚が凄いわけだが、この長編第一作目である本作でも既に、その水、火の感覚が見事に出ている。

本作には、重要なモチーフとして鐘が2度出てくる。
1度目は、少年イワンがナイフを手にして、半地下の室内で仮想のドイツ兵を追い詰める妄想シーン(現実と妄想が交錯しているような不思議なシーン。)で、室内に鐘を釣り下げ、ドイツ兵を追い詰めたことを知らせる鐘を鳴らす。そして彼は仮想のドイツ兵をナイフで威圧し詰問しようとする。

2度目は、終盤で対独戦勝利を祝うシーンで鐘を鳴らす。

つまり、1度目は、殺伐としたシーンで鐘が出てきて、2度目は、祝祭シーンで鐘が出てくるわけで、戦争の勝利は決して栄光ではないということを暗示する効果として鐘が効果的に使われているわけだ。

ラスト、少年イワンはドイツ兵に捕まり死んだということがわかる。しかし、その処刑シーンは描かれない。少年イワンを気遣っていた、目上のガリツェフ上級中尉のモノローグで語られるだけである。

妹と湖の浅瀬を楽しそうに駆けるイワンの映像が美しい。
これは、勿論、反戦映画である。
大人たちの私利私欲の為の戦争の犠牲者は、いつでも無邪気な子供たちである。

本作は傑作である!!

p.s.
少年イワンの母親を演じたのは、当時のタルコフスキー夫人のイルマ・ラウシュである。
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