もう夏

オテサーネク 妄想の子供のもう夏のレビュー・感想・評価

オテサーネク 妄想の子供(2000年製作の映画)
2.3
火曜日の午前11時、リビングにて観賞
お正月、まじで忙しすぎてぼくも財布も目を回してる 初めての経験だよ……おたくいしがしいな いしがしい顔をしている いしがしいし冴えない顔をしている

チェコの民話に着想を得たジュヴァンクマイエルならではのダークファンタジーの傑作!不妊に悩む夫婦がいた。ある日、夫が庭の手入れをしていると、偶然見つけた切り株が、子供の形に見えたことから、それを持って帰って奥さんに見せると、彼女はそれを我が子と信じ、人間の子のように世話をしはじめる。ご飯を与えても与えても“もっと食べたい”と訴える我が子に、夫婦は大量の食料を買い込み、せっせと食事を与え続けるのだが……。

お伽噺、悪趣味が少女のかなしみに緩和される
切り株から生まれた化け物、母の愛で狭いアパートの一室に閉じ込められたその運命は
なにより画の綺麗さも見所だよね、ストップモーションがきれい モンスターの造形もいいし、いちいちパンチラ狙いのじいちゃんの視線ひとつとってもめちゃくちゃおしゃれなカットで印象的に撮られてる
グロはでも、かわいさがまだ勝つかな そりゃ悪趣味だけどね
主人公の女の子も生意気なガキンチョなんだけど、このバランスがさっき言った最後の良心というか 悲劇すぎるけど、この子はやっぱずっとおてんとさまのもとにいるから



自分以外の家族が全員帰省したのでようやっと…みてたんだけど、いや~こういういいたい放題好き放題話せる場所ってたのしいよね しかも、ぜんいんが同じ意見であることはぜったいにない訳じゃんか それがいいよね それを前提としてしゃべる快感っていうのがある
最初の議題、やっぱ全体的にちょっと違うような気もするんだよな…… 例えばキモいって言葉に好意的な興奮と嫌悪感それぞれを強調した使いみちがまったくべつに存在するように、アイドルって言葉にもまったく違う使い道が存在するよね バラエティのタレントさんを見たときの無邪気な アイドルだね~と、光る汗を巻き散らしながら昇っていくアイドルを見たときの アイドルだ…… の響きはまったく違うよね だから最近で言うと紅白の伊藤蘭さんとか、現代で言えば新しい学校のリーダーズをアイドルと評する人とadoちゃんをアイドルと評する人の言葉の使い方は違う その言葉だけで侮蔑にも尊敬にもなるっていうか 言葉の定義というより、言葉自体の使い道が多様化した社会で“アイドル“という存在自体に迫るのは不可能だと思う だからその時点で“不完全なアイドル”に的を絞って話を進めることが今回の目的にいちばん近かったのかなと思うんだけど、ここでもぼくは、特に日本人がそれを好きだとは思わないんだよね 特に、プデュなんて韓国で3回やってだいぶ売れたから日本に持ち込まれたわけであって、アメリカやメキシコで熱狂的な視線を浴びているプデュ勢を見るとべつに日本特有の現象ではないかなと 海外はそれを否定する人の声が大きいからかも K-POPださい、とか それに、ガルクラの勿論日本を含めた世界的な流行を見るに特に未完成が求められる時代、というわけではないのかなとも思う そして、未完成性と人生エンタメはまったく話が違うっていうか 例えばぼくは人間性まで知らないと人を愛せないけど、彼らが未完成だから好きなわけではない というか人間全員夢に対して未完成だし…… だからぼくは、日本にはそれをダサいとする人間が少ないので全員が好きという印象になりがちだが世界的なウェーブとしてオーディション系の需要は一定数常に存在する、それにそもそも、アイドルの楽しみ方って主体的かそうでないかでも全く変わってくる アイドルを宗教とすることで、自らの人生を諦めることが出来る人間もいるし、自らの人生を諦めないことが出来る人間もいる 逆に、あるアイドルに自己投影することで、諦めることが出来る人間もいればなにくそって諦めないでいられる人間もいる だからさ、こんなこと言ったらあれだとはおもうんだけど、まじでそれぞれだからなんでとかはあんまりわかんないよね でもこういうのって喋るだけが楽しいから 清談お遊び だから社会学的に統計とったとして、傾向ってほんとにでないんじゃないか この世代がこの世代らしく健康でないのは確かだろうけど…… あと少女性信仰はいつの時代も存在するのであんま関係ないんじゃないかな 気持ち悪いから言いたくなっちゃうのはすごく分かるけんども でも、オーディション番組で、未熟だったころから見守ってきた子を応援したくなる気持ちはたぶんすごく純粋なものであって、それは多分人間としてとても簡単な話だし、ひねくり回す話でもないような気がする 男性のオーディション番組なんてめちゃくちゃあるし、というかいまのルセラのさくらたんとかIVEのウォニョンの圧倒的人気を見るにべつに関係ないと思う 少女性と処女性って微妙に違って、聖母とかは処女じゃんか だから、なんか言うなら処女性の方が重要視されてるのかもしれない いや、ぼくはおじさんやおばさんのおたく知らないから上の世代がどうかはわかんないけど…… ただ、ブイライブの日常コンテンツとかは大人気だしぼくも大好きなので、アイドルの人間性に“本物”を求める気持ちはわかるかな 知ろうとすることと、見ようとすることってほんとは違うよね でもぼくも、見ちゃってた…… そこの境界が曖昧になってたと思う なんか、改めて本人の口から聞いてほんとに反省した
天下の定義だよね…… だからこれってまずイメージの話かどうかで変わってくると思うんだけど、現状固められた“天下”イメージが、5年で変わりうるのかどうか、それが最大の焦点だよね 今回それを総合的なメディアの数字?なのかな、頼りたい人間の代表として…さんの名前が出たけど、それはある程度考えてから出た結論であって、ぱっと見の意識でそこまで追いつく時代は果たして訪れるのか?ってことは大事だよね ぱっと見のイメージ、MCやってないと天下なんてまず言われることそうそうないんじゃないか それが5年で変わりうるのかどうか テレビ、ひな壇番組という構造はまだ現場の憧れであり続けることが出来るのか ふう〜!、なんかワクワクする響きだぜ
さっきもアイドルのところで“本物”の話したけど、まえなんか緑のパーティーでMCしたときなんかすごい社長みたいな人が本物志向の流行を指摘してたんだけどね、これ、あると思うな…… 特にぼくみたいなカス人間が増えてる世の中、顕著な気がする でもこれって、媒体によってまったく違う話だから、だからバズるという言葉の認識に対してもあれなんだけど、例えばスラムダンクザファーストが流行ったことと推しの子や呪術が流行ってることは違うじゃんか いま正直クール放送のアニメで天下獲ってる作品、推しの子、呪術廻戦あたりは、正直……、ストーリー的なことでいうとまあめっちゃ面白いって感じではないような気もする 感覚で言うと、あんまり本物、っぽくはないというか、鬼滅あたりから流行ってきたアニメ流行のプラットフォームに乗っかってるタイプだと思う 対して、スラムダンクの流行はあれ映画館で起きたことだよね ぼくもたぶん初日かなんかに行ったと思うんだけど、なんで行ったかって事前知識まったくなしで楽しめそうだったし、映画の前に流れる広告の第ゼロ感がめちゃくちゃカッコよかったんだよ、明らか熱が違ってて まじで正直たぶん3ヶ月は前から映画館の広告延々流れてたと思うんだけど、最初の方の広告はタイムキーパーのチッチッチッチッ……だけで、アニメーションも何も無くてそれも衝撃的でほんとワクワクが凄かった それが公開数日前になってアニメーションついてさ、第ゼロ感のAメロ流れて まじ広告だなあれは まじで知らなくても観られそうだった それに、きむすば起用やフルCGで公開前からブーイングの嵐、あれは完全に映画を映画館で普段から観てる人間がした口コミが、存在自体あらかじめ知ってた人に刺さって巻き起こったものであって、入りから違うような気がするんだよね だから話を戻すと、バズるって言う言葉のここでの定義によるというか、出された結論はどっちかって言うとサブスク狙い、暇を持て余した人間が惰性で観られるものに近いのかなと思う だから本来なら正直なんかかっこよさそうで作画キレイで長かったらなんでもいいんだけど、この議題のもとがなまじスラムダンクから始まっちゃってるせいでちょっと混同されているというか、まあリメイクなら当たり障りのないものになるのかな 孤独のグルメも、どちらかと言えばバズるよりさっきの天下の方が近いような感覚だよね あ、あとリメイクは悔しくないのか問題…… どうなんだろう?いまの時代年齢ごとの仲間意識なんてあるか?人を、おなじくらい尊敬してないし尊敬してるように思う それに、さっきも言ったけど鬼滅から始まったなにかしら鬼滅にかすってる作品群フィーバー、チェンソーマンにブルーロック、これらは完全に“新しい”時代の幕開けだし しかも、その流れは薬屋のひとりごととかフリーレンとか、少々変異して新たな流行まで生み出そうとしてる ちょっと昔の、2015くらいの感覚にも近いというか なんか、スラムダンクはまず場違いなほどの現場の熱意があって普通に面白すぎたから要素を抽出するには向いてなかったような気もするな もっとライトにフィルムレッドとかから考えた方がよかったかもな、ネームバリューと今の流行る形態が融合してる感じとか フィルムレッドまじでおもしろすぎたんだよな…… これはだからちゃんがいう、adoちゃんの歌唱力にただただほけ~って感動できる王道と、アホすぎるっていうシュールな楽しみ方を引き込んだからなのかもしれない
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