さぃもんす

遥かなる山の呼び声のさぃもんすのレビュー・感想・評価

遥かなる山の呼び声(1980年製作の映画)
3.5
東京等の都会とされる街で撮影すると時代の背景が気になってしまう。
だが雄大な北海道の自然となると、頭の中で勝手に今も北海道はこうなんだろうなと思い込む。大陸的な空気を醸し出し、荒野の風が吹き、地平線のかなたに沈む夕日を観られる場所、北海道。四季を織り込んで、せつなくもしみじみと、殺人犯の男と幸の薄い女とその息子の心の交わりが描かれていた。

耕作が大嵐の夜に荒野で人家の灯りに吸い寄せられて一夜の宿を借りに民子の家にくる。ここでまさか殺人犯だとは思わない。耕作は一夜雨宿りをすると礼を言って出て行くが、この家に男の気配がないのをしっかりとチェックしていて、初夏になったある日唐突に、働かせてくれと再びやってくる。給料も休みもいらないという男に、まともでないことはわかるがここでもまさか殺人犯だとは思わない。耕作が懸命に仕事をしている姿や耕作と武志が話しているシーンをみるととても人がよく人を殺しているようになど見えない。

民子がぎっくり腰になるシーンで倍賞千恵子さんって演技が上手いな思った。本当にぎっくり腰になってるとしか思えない自然さ、息子を呼ぶ時の辛そうな切れ切れ声など、痛そうだなと思わせる臨場感。納屋の床に倒れた母に痛い?と聞く息子、小さな声で…痛いと答える母。母の身体についた牧草をひとつひとつ取り除く息子。入院中、見舞いに来た息子が久々に会う母に照れて近寄らないシーン。本当の親子のような自然な演技。ほんの数秒の些細な演出でリアリティがぐっと上がるなと学んだ。

民子のぎっくり腰を経て、更に風見一家になくてはならぬ人になった耕作。
だが、過去の行為は見逃される筈もない。迫りくる警察を感じる耕作。
「今夜からうちで寝て。もう、他人と思ってないから」という民子に、耕作は答える事ができない。民子の気持ちが分かるからこそ、このまま牧場に居続ける事はできない。耕作も少なからず民子に気持ちがあるだろう。気持ちと反対の行動をしなくてはならないというのどんなに苦しいことだろうか。夕日を眺めて何事か考える耕作の表情が物語っている。

夫の死後に巡り会えたと思っていた男が殺人犯であるという現実。
「向こうで寝ます」の一言のあと、深夜に耕作が戻って来る。「早く入って、鍵締めて」という嬉しそうな民子に、「奥さん、来てください。牛が大変なんだ」と言う耕作。私じゃなくて牛⁈思わず涙する民子。1人でやっていくには大変な牧場、まだ小さい子との両立に頼もしい男に出会ったからにはこの生活に終止符を打ちたい。「行かないで、私、寂しい…」思わずすがりつく女心。
牛は死にかけているし、外は雷雨。そして巡り会えたと思った男は行ってしまうと言っている。しかし、耕作はそれを受け入れるわけにはいかない。

翌朝の別れのシーンは、武志の「ねぇ、おじさんどこ行くの?」の声が早朝の清々しい空気に響く。

耕作を待っているなら民子は牧場を売らずにそのまま続けていれば良かったのではないかと最後の最後に疑問を持った。なんで町に出ることにしてしまったのか。虻田三兄弟に助けて貰いつつ、そのまま牧場で待っているという方が物語に合っているような気がした。
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