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クラレッタ・ペタッチの伝説
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『クラレッタ・ペタッチの伝説』に投稿された感想・評価

ファシスト党首ムッソリーニの愛人クラーラ・ペタッチ(愛称クラレッタ)の悲劇の最後を描いたタブー作。主演クラウディア・カルディナーレ。監督はカルディナーレの公私パートナーだったパスクァーレ・スキティエリ。

現代のイタリア。女性ジャーナリスト、ロベルタ(カトリーヌ・スパーク)はムッソリーニの愛人クラレッタ(クラウディア・カルディナーレ)の映画を作ろうと調査を始める。しかし公的な資料は全く見つからず、クラレッタの妹ミリアム(本人が出演)にインタビューを申し込む・・・。1932年ローマ、病院長の20歳の娘クラレッタはファシスト党首ムッソリーニと知り合い愛人関係になった。戦争が始まって以降も二人の蜜月は続いたが、1943年の対ソ戦の敗北をきっかけににムッソリーニが失脚、クラレッタは家族ともども留置所に監禁される。。。

追悼クラウディア・カルディナーレ。退廃に彩られた映画で見応えがあった。ファシスト詩人ダンヌンツィオの豪邸でのロケなど知らなかった情報も多く収穫の大きい鑑賞だった。ラストに映し出されるクラレッタとムッソリーニの実際の遺体フィルムは残酷なので注意が必要。しかしこの一連のシーンに映画のテーマが込められており同時に本作がタブー化した原因になっていると思われる。

実際、クラレッタがムッソリーニの愛人だったことは公然の秘密だったが、政治的には全く関与しておらず二人の関係についての公的資料は殆ど皆無とのこと。映画はムッソリーニの失脚から始まり、クラレッタと家族が留置場に入れられムッソリーニからの恋文が没収された事、ムッソリーニがナチスから救出された後に一度だけダンヌンツィオの館で再会した事、家族がスペインに脱出する際にクラレッタが残った事と、明らかになっている三つの事実を膨らませてクラレッタの純愛を描いている。

クラレッタのプロフィールや戦前戦中のイタリアの政治状況は衆知のこととして省かれているため、知らない場合は調べることが必要。個人的には「調べたい」と思わされるるほど映像が耽美的に優れ、謎めいた演出も魅力的だった。中でもダンヌンツィオの館でロケされた再会シーンの演出は秀逸。ダンヌンツィオ、ベートーヴェン、ナポレオンらのデスマスクが飾られた死と美の迷路のような邸内を通ってムッソリーニのいる部屋に辿り着くまでの主観ショットは、ファシスト党首のカリスマ性とキッチュさを表しつつ、クラレッタの迷い込んだ愛と運命が見事に表現されていた。

映画を作るための調査という設定も効いていて、冒頭にクラレッタの実際の墓、そして最後にクラレッタとムッソリーニがレジスタンスによって虐殺された遺体のフィルムが無音の中で映し出される。そして二人の遺体が吊るしあげられた画の直後に、同じ広場で1年前にナチスに銃殺された人々の遺体の山が映し出される。つまり、党首の愛人というだけで本人に罪はないクラレッタの虐殺とナチスによる虐殺を等式で結ぶことで、イタリア大衆の責任とモラルに問題を投げかけるのが本作の大テーマと言える。タブー視されているのはこれが原因なのだろう。

クラウディア・カルディナーレは本作のムードにピッタリの存在感を放っていた。戦艦「プーリア号」などダンヌンツィオ邸内のロケ撮影も貴重で、埋もれさせるべきではない一本だと思う。

※クラーラ・ペタッチのプロフィール
ローマの病院長の娘として生まれ子供のころからムッソリーニのファンだった。ファンレターを出し続けた末に1932年、20歳の時にムッソリーニ(当時49歳)と面会し以後愛人関係となる。1943年4月28日、ムッソリーニの逃亡に同行したがパルチザンに捉えられ二人一緒に射殺された。翌日、二人の遺体はミラノのロレート広場で並べて吊るされた。享年33歳。後にイタリア・ホワイトテレフォン映画世代のアイコンとしても語られる。妹のミリアム・ペタッチは女優。

※イタリアの戦争責任
1943年にムッソリーニが失脚し新政権が連合国に寝返ったため、「被害者」「ファシズムから解放された国」とする自己イメージを形成。戦犯裁判は行われず、ムッソリーニやその側近は処刑されたが、多くのファシスト官僚・軍人は戦後も社会で復権した。ユダヤ人迫害やアフリカ植民地での大虐殺など「ファシズム加害国」としての責任認識は曖昧にスルーされた。

■ドイツ:徹底した加害責任の引き受け → 国家の信頼回復につながった。
■日本:加害と被害の記憶が分裂 → 国内外で対立の火種を残した。
■イタリア:責任追及が曖昧 → 「抵抗の国」というナラティブで自己正当化し、記憶の空白が続いた。

※ファシスト詩人 ガブリエーレ・ダンヌンツィオ
1863~1938。脳卒中で死去しムッソリーニが国葬を行った。享年74歳。
映画関係では歴史スペクタクル大作「カビリア」(1914)の脚本、「イノセント」(1975:ヴィスコンティ監督)の原作者として知られる。デカダンの作家として世界的に名声を得る一方で、イタリア・ファシスト運動の先駆者として政治活動も活発に行いムッソリーニの思想的支柱となった。
日本では明治後期に紹介され「煩悶青年」たちを虜にした。なかでも『死の勝利』(1894:日本発行1913)は日本の文壇に衝撃を与えた。後に三島由紀夫が多大な影響を受け、同作を下敷きに『岬にての物語』(1946)を著し、『聖セバスチァンの殉教』(1911:日本発行1966)を翻訳した。楯の会の制服や市谷駐屯地での演説もダンヌンツィオの影響と見る者が多い。

※終盤の二人がレジスタンスに捕らわれる幻想シーンの白く高い建物は、ロシア・サンクトペテルブルのラフタ・センター。