ヨダセアSeaYoda

散り行く花のヨダセアSeaYodaのレビュー・感想・評価

散り行く花(1919年製作の映画)
4.5
久々に鑑賞。

D.W.グリフィスが描き出したのは、純朴な少女の魂が暴力によって蝕まれていく、痛ましくも力強い人間ドラマ。家庭という檻の中で、未熟な大人の身勝手さに翻弄される乙女の姿は、観る者の心を激しく揺さぶり、やり場のない怒りすら覚えさせる。
その意味で本作は、100年以上の時を経た今なお私たちの良心に問いかける“元祖胸糞映画のひとつ”といえるかもしれない。

無垢な少女の魂を映し出す映像美は、本作の真骨頂。繊細な撮影とライティング、時代考証を感じさせる衣装、そして巧みなメイクなどが一体となって、圧倒的なリリアン・ギッシュの存在感を際立たせる。彼女にしか表現できない儚さと凛とした芯の強さは、この悲劇のヒロインに強い説得力を与えている。

父親が斧を振るって扉を破壊する衝撃的なシーン-扉の向こうで震え怯える娘、そしてジャック・ニコルソンの狂気を彷彿とさせる父親の異様な形相―この対比が生み出す緊張感は、60年後に作られる『シャイニング』の名場面を先取りしたかのような迫力を放つ。
家長としての権威を暴力で誇示しようとする惨めな男の姿を、ドナルド・クリスプは見事な演技(顔芸)で体現している。それは単なる怪物ではなく、むしろ人間の業の深さを映し出す鏡だと思える。

人の位置がズレたりするように見える編集にはやや荒削り感を感じたが、それがフィルム保存状態に起因するものなのか、1910年代という映画黎明期の技術的制約によるものなのかは自分にはわからない。100年以上前のフィルム作品ともなると、この「荒さ」を自分が現代の目線でジャッジできるものではないような気がする。

あと中国人が「イエローマン」と表記されるのが少し気になるが、1918年の作品であることを考えれば、そして差別思想を向ける少女の父親が「悪」と描かれていることを考えれば、監督に強い悪気はないのだと理解はできるし、作品を評価する上ではスルーしておきたい!

---
観た回数:2回
ヨダセアSeaYoda

ヨダセアSeaYoda