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ゆきゆきて、神軍のMypageのレビュー・感想・評価

ゆきゆきて、神軍(1987年製作の映画)
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この人がほんとうには、どことどこの間で揺れ動いているのかがわからない。カメラの前でさえそうなのに。『アクトオブキリング』はまだ「わかる」兆しを見せてきた。暴力のことを暴力といっているように見えるけどそれは暴力としての暴力ではない。距離感が違う。いろんな尺度を試してみたけれどどれを使ってもわからなかった。でもはぐらかされているのではないし、そのことについての映画ではない。撮影者も捉えきれていなかっただろう。山田さんの宅ではすこし連帯感も見えたけど。同行断念された遺族の話のほうがよほど想像がつく自分がいるのだが、それこそ表象の弊害というものだろう。対話?「人それぞれ」という前提に立って行うのが対話だと思っていた。もちろんそうだが。その平面に垂直方向に穴を開けるのが「神」として持ち出される軸線。個人主義相対主義に傾倒して「神はいない」と遮断されてしまう違和感。『ねじまき鳥クロニクル』はまだ読んでる途中だけど。この人のアンコントローラブルネスにはコントロールの陰が見えるから見ていられる。そのコントロールの出どころはあるいはひとつにはカメラの存在かもしれない。だけどもやっぱりそれだけでもないようだから、もってして、そのアンコントローラブルネスの出どころはもっとわからない。独房も想像が届かない。ケアの倫理みたいなことでもない。もっと刹那的だった。しかし発作的というには論理的というのか。だが理性的とは言い難い。だけど思想的ではあるのだ、盲信よりはやや開かれている。自家発電的な側面もすくなからずあるのだろうけど、ごく自然に見える。ちょっとなんだろう、でもそういうところってある。山田さんの後ろの廊下にみえる孫たち。国家や家族といったものが、自然の法に逆らっている。そういう側面があることを、私たちは実感としてわかっている。その間で映画を見ている。
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