カラン

BLUE ブルーのカランのレビュー・感想・評価

BLUE ブルー(1993年製作の映画)
5.0


「感性の血の色はブルーだ。僕はそれを完璧に表現するための探求に全身全霊を捧げている。」




◎遺作
デレク・ジャーマンはこの映画の製作から間もなく、1年と経たずに、死ぬ。死因はAIDS。白血球がやられたためか、ありとあらゆる合併症にかかり、「僕は1日に薬を30錠も飲」みながら、この映画を作った。


◎ブルーの画面
治療を始める前なのか、後なのか、AIDSの合併症で、ジャーマンは網膜剥離にかかり、映画監督が視力を喪失する。この映画は全編を通してブルーの画面である。網膜剥離にかかると、光視症を併発し、光が当たっていないのに、光を感受している錯覚が発生することがあるようだ。察するに、目の見えないジャーマンが語る《ブルー》の原因はこれなのかもしれない。(しかし芸術は原因から断絶してこそ芸術であり、当然、ジャーマンは網膜剥離の話はしても、ブルーとは何かを規定することはない。そのような説明は恐らく「イメージなしに、空白に対峙すべし」というこの映画の禁欲的な姿勢(あのジャーマンが!)にそぐわないだろう。なお、イブ・クラインYves Kleinとの関係は不明だが、《ブルー》と《虚空》voidと言われると、関連付けたくなる。レビューの最後に、キーワードを拾っておいた。参照されたい。)


◎ノイズ系のサントラ
見始めた時はブリテンの『戦争レクイエム』の初演版をフィーチャーしたジャーマンの映画『ウォーレクイエム』(1988)の荘厳さを思い出した。当然この映画にはクレジットされていないだろう盟友サイモン・フィッシャー・ターナーが、本作『ブルー』では、共鳴する鐘の音、雑踏、サラエボのニュース、空港、そして波うち際、等のノイズをサンプリングして散りばめた。エリック・サティの『グノシエンヌ』の1番もエンディング近くにかかる。グノの演奏中から汀の音が小さく聴こえていただろうか?サティのピアノが終わると、青い画面、さざ波、ジャーマンが恋人や友人に呼びかける声、そして映画は終わる・・・


◎モノローグ
この映画の語りは3種に大別できるかもしれない。

①ブルーを探求する声
②AIDSと闘病する日々のこと
③かつての恋人たちへの呼びかけ

これらの声がもつれ合い渾然となる、あるいは、はっきりとした断絶の線を刻みつける。映画は静かに進行し、臨終を告げる鐘が共鳴する。あるいは、フェーディングに抵抗するかのように何度も呼びかける。ねえ、きみ、キスしてほしいんだ。


◎ブルーと虚空



「ブルーは魂へと至る開かれたドア。」





「汝、イメージを刻むなかれ。空白を埋める義務はあれども。」






「心から祈れ、既成のイメージから解放されんことを。イメージは魂の牢獄なのだ。」






「僕は空の彼方を歩く。・・・測り知れぬ至福のブルーを探して。」
カラン

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