櫻イミト

情婦マノンの櫻イミトのレビュー・感想・評価

情婦マノン(1948年製作の映画)
3.5
脚本家・桂千穂さんのオールタイムベスト1。ファム・ファタールを描いた最初の文学作品「マノン・レスコー」(1731)を戦後設定で映画化。監督は「恐怖の報酬」(1953)のアンリ=ジョルジュ・クルーゾー。ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞。

イスラエルに向かう貨物船で密航者の青年ロベール(ミシェル・オークレール)と少女マノン(セシル・オーブリー)が船員に捕まる。ロベールは自分たちの過去を船長に語り始める~1944年フランス。レジスタンスだったロベールは、ドイツ兵相手に売春し市民から責め立てられているマノンを救い二人で逃走する。やがて彼女の虜になりパリでの新生活を目指すが、マノンは安定した結婚生活を拒み、贅沢な暮らしのため再び売春に走るのだった。。。
物語もラストシーンも有名なので、どのように描かれるのかを注目して観た。色々と意表を突かれる一本だった。

まずは本作の肝となるマノン。ファム・ファタル(運命の女)の代名詞的存在なので勝手に妖艶な女性像を想像していたのだが、登場したのはおよそ正反対の未熟なキャラクターだった。演じたセシル・オーブリーは当時18歳で身長150㎝と小柄。欧米レビュアーが「ファム・ファタルというよりファム・アンファン(女児)」と評していて、まさに言い得て妙の典型的なロリータ像に感じられる。

しかし本作はロリータ・コンプレックスの物語ではない。相手方の青年には「ロリータ」(1962)のような年齢差、「散り行く花」(1919)のような禁忌性など全くないのだ。類似した物語を挙げるなら「不良少女モニカ」(1953)だが、モニカは不良なりに成熟した女性像として描かれておりカップルにも孤独と言う共通項があった。本作の二人については内省がまるで感じられないし、描こうとさえしていないように思える。

では本作は何を描こうとしているのか?本作をオールタイム・ベストに挙げる桂千穂は「こんなにショッキングで激しく、美しい愛の物語は初めて観た」と評している。確かに当時ならばあのラストシーンはショッキングだったかもしれないが“美しい愛の物語”には同意しかねる。一方、本作に高評価を付けた双葉十三郎は「セシル・オーブリーのアプレゲール(戦後)的な肉体的な感覚が、この酷烈な作品にすさまじいタッチを付け加えている」と評している。これには同感できる。本作でのマノンは、内省が無く即物的な欲望に走る子供のような女性として描かれている。その姿はアプレゲールどころか現代日本のパパ活女子あたりを彷彿とさせ、驚異的な尺度の先見性と言える。そのような女に内省的な交流もなく貢ぎ続ける青年ロベールは、さしづめ大量のCDを購入し続けるアイドルおたく、もっと言えば風俗嬢にハマった太客のようである(そんな彼らのことを否定するつもりはなく自分にも似たような覚えはある)。

ラストシーンは砂漠で繰り広げられる。その意味合いは、砂漠で金と心中する男を描いた「グリード」(1924)への返歌と例えられる。戦争直後の心の荒廃は、浅ましい金欲と同じように愛さえ肉欲に置き換わってしまったと。それを自覚できずに白目をむいた肉体を愛でるロベールの姿はひたすら悲しく愚かだ。

「グリード」はギリシャ神話を下敷きにしていたが、本作が聖書をベースにしていることはユダヤ人が聖地エルサレムのあるパレスチナに密航する描写からも明らかだ。同行したユダヤの徒は虐殺される。そして二人の魂の行く先は、肉欲に溺れた罪で堕とされる地獄である。

驚くほどの精度で未熟な性の商品化を予言したクルーゾー監督流の黙示録。

※先日行われた本作の上映会で解説の蓮實重彦が「勃起した」と品性下劣な発言をしていたとのこと。これも予言通りである。
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