とみー

情婦マノンのとみーのネタバレレビュー・内容・結末

情婦マノン(1948年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

展開激しくて原作から離れた部分もあったが基本は忠実で、マノンレスコーのうざったさがよく表されていた。序盤、教会の中で戦火の中マノンを助けて建物が崩壊し、二人を協会、神が冷たく見下ろしている様に感じた。これは周りを欺いたデグリュの罪悪感、原罪を暗喩しているのではないか。これは作品を通してしばしば出てくるテーマで、死んだマノンを砂漠の中背負う姿が十字架を背負うキリストに見えた。彼はマノンという存在に悩まされて、彼女の死によって解放された。これは、火垂るの墓で晴太が節子が死んだ時と似ていると感じた。両者共に大事な存在が死んでしまったことにより、悲しみもさることながら自らが背負わねばならないものが無くなった解放感と一種の罪悪感を抱いている様に思える。
個人的な意見としてはデグリュのうだつの上がらなさが苦手で原作もこの映画も好きになれなかった。客観的には素晴らしいと評価できるが。そしてマノンが絶妙な凡人感を醸し出していて、こんな情婦にはまるのかよ、と思わざるを得ない。