papapaisen

サインのpapapaisenのネタバレレビュー・内容・結末

サイン(2002年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

めっちゃ好きな作品。世間がなんと言おうと好き。シャマラン印の良作やと思うよ。
宇宙人がバットで殴られてめっちゃ弱くても、最初からなんとなく不穏な感じのあの雰囲気作りがほんと最高。
メルギブソンは私生活では無茶苦茶やな奴やけど、やっぱり俳優としては最高の演技する。悲しげな感じがほんとうまい。ホアキンフェニックスも相当な男前やし、アビゲイルブレスリンは超絶天使すぎる!可愛い。
以下、引用
■その一■なんじゃ、あのショボい宇宙人は?ふざけてんの?
■その二■なんじゃ、あのオチは?ふざけてんの?

いーや、シャマランはふざけてません。
まず、あの宇宙人(?)についてだけど、主人公がいったい何に悩んでたのか考えれば、そして奴が滅びることで、晴れ晴れとした表情になり、彼の中の「神」が復活したことを考えるなら答えはカンタン。あの宇宙人(?)とは「無意味」の象徴なのダ。
つまり、この映画は「生きることの意味(生きるに足る物語)を失った男が無意味を打ち負かし、もう一度意味(物語)を勝ち取る」というお話なのです。
したがって、ここでいわれている「神」というのは「世界に意味・物語が存在する根拠」としての神で、「善・正義」の神ではない。だから通常の映画で神に敵対する者は大抵「悪」なんだけど、この映画での敵は「無意味」になるわけ。
で、改めてあのへなちょこ星人を「無意味の象徴」として眺めると、もうそれしかないだろってほど的確な造形に思えるでしょ。
たとえば、もしあれが「プレデター」みたいな奴だったら、「残忍さ」「高度な科学力」「優れた身体能力」などのいろんな「意味」が自ずと表れてしまう(ってよりも、そういった意味を元に造形されたんだから当然なんだけど)。「無意味」の象徴である以上、じっと見つめても(?)しか浮かんでこないようでなけりゃダメなのだ。その点あのへなちょこ星人は実に素晴らしかった。
こんな明快な比喩がまったくといっていいほど理解されなかったのは、たぶん「悪と」じゃなくて「無意味と戦う主人公」ってのが今までに例がないほど斬新だったためだろう。

で、二つ目の批判。無理やりコジツケたとしか思えないあのひどいオチ。
…なんだけど、実はまったくその通りで無理やりコジツケたんですよ。
ただし、コジツケた張本人はシャマランではなくて主人公の牧師なんだけど。
…えと、どーいうことかといえば、主人公が発見したと思った「サイン」とは、「神の啓示」でも「もともと隠されていた物事の本当の意味・真実」でもなくて、そのとき主人公の想像力からとっさに生まれた、ごく個人的な「連想」でしかないのね。つまり、この映画には最初から最後まで「神(普遍的真理)」なんて存在してないのだ!!
だから、この映画見て「なんじゃ、あのオチは」という感想はある意味まったく正しくて、もしも観客全員が文句なしに感動する見事なオチだったら逆に完全な失敗なわけ。だって、あれは神様でもプロの脚本家でもない、ごく普通のありふれた男(牧師)がその不条理な状況に対して自分自身で与えた、きわめて主観的な「解釈・意味」(思い込み)でしかないんだから。
(なんで「きわめて主観的」といえるかといえば、この映画見た人なら気づいたと思うけど、あの宇宙人(?)についての「客観的事実」ってのが、この映画ではまったく提示されてないのね。「誰かのウワサ」または「テレビ・ラジオの情報」だけ。
もしアレが本当に「恐怖の毒吐き人食い宇宙人」だったら、「円盤に乗り降りするところ」「吐いた毒ガスで人が死んでいくところ」「人を襲って喰ってるところ」というシーンが必ず入るだろう。もちろんそれらを排除したのは意図的で、「客観的・普遍的事実」の不在を表してる。結局アレが倒すべき極悪宇宙人だったかどうか、ってより、そもそもアレが宇宙人だったのかどうかすらこの映画の中の事実としては一切語ってないのだ!!)
なのでこの映画の立場としては、牧師が最初に抱いた疑念「この世は無意味で神なんかいない」ということこそが「正しかった」ってことで、牧師の「サイン(真理・神の啓示)の発見」はただの「思い込み」ってことになる。でも、たとえそれが「思い込み」で普遍的真理なんかじゃなくったって、その自分だけの「意味」が重要に思えたのなら、そしてそのことで生き生きとした生活が出来るのなら、それでいーじゃないかってことです。

…、とまあ、以上のように『サイン』は実に味わい深い作品なんだけど、この映画の、というか、シャマラン監督のほんとにスゴイところは、こんな「神なんていねーYO!!」っていう無神論的な映画を、
「世界に意味がない、神がいない、なんていう“間違った考え”に一度は囚われた男が、その後、神の奇跡を発見して信仰心を取り戻す感動の宗教物語」
に見せかけてしまう、堂々たるペテン師ぶりだろう。もっとも、そう見せかけなくちゃ米国他のキリスト教圏でバッシングされて興行成績に響く、どころかへたすりゃ過激なキリスト教原理主義者たちになにされるかわかんないって事情があるんだろうけど。
ってか、観客騙すどころかそもそも主演のメル・ギブソンが周知の通りガチガチのキリスト教右派なわけで、なんと身内の役者すら騙して使ってるのだ!!(まあ確かに彼以上にこの役にふさわしい役者はいないんだけど)
もしギブソンに自分が無神論者の映画に騙されて使われてたなんてことがバレたら、…きっと爆破装置のセットされた車のバンパーに片足を手錠でつながれて、「足を切る時間を10分やるっ」って糸ノコ投げつけられるだろう。
そんな危ない大ウソついてまで自分が撮りたい映画を撮ったシャマランは偉大なイカサマ野郎なのだ。
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