そーた

パッチ・アダムス トゥルー・ストーリーのそーたのレビュー・感想・評価

4.1
余韻が残っているうちに···

映画を見れば、何かを考えて、
何かを思って、明日からまたがんばろうと思う。

でも、次第にその気持ちは薄れていって、いつの日にかすっかり忘れてしまう。

ふとした時にまた思い出して、
なんだか、初心に帰るような気持ちになる。

この映画。
思うことはたくさん。
でも、大切なことほど日々忘れがちになって自己嫌悪してる自分がいる事に気付かされる。

ロビン・ウィリアムスのユーモアが冴え渡る、実在の医学生パッチ・アダムスの半生を綴った今作は、
触れればじわりじわりと温かい、
それでいて普段は心の隅っこにしまい込んでしまっているような、
そんな感覚を呼び覚ましてくれるよう。

患者を笑わせることで一人一人に寄り添う医療を実現すべきだという信念のもと、医学生ハンター・アダムスがそのスタンスの先に見据た無料治療院実現へ向け突き進む。

彼の突飛なアイディアや行動は、純粋な優しさに裏打ちされたもの。

それを医療行為として昇華する課程で、権威主義的な医のあり方に抵触してしまいます。

大人な事情を多分に孕んだ医学の世界。

それを個の力で急に変える事は出来ないにしろ、
医療現場に似つかわしくない道化を演じるパッチに接した患者達の人生には、
ぱぁーっと温かな明りが灯っていきます。

そこに誰もが忘れてしまっているような、人との関係性を見出だすことができる。

医者と患者との関係を通り越し、
人と人とが接するということ。

パッチの温かさの裏には人間に対する深い愛情がありました。

そして、その愛のあり方があまりにも真っ直ぐ過ぎるが故、
裏を返せば実は不安定だったりもする。

それが人間くさくもあり、そしてそこに奥深さがある。

恐らく、医療が廃したいのはそんな揺れ動く不確かな情の感覚。

ただ、非感情を徹底した医学に立脚し、理論先行で病を完治するという命題を追い求めるスタンスも、
元を正せば人を救いたいという人の情動にあるはずです。

それを忘れて、システマティックな治療を優先するがあまりに、
人に対峙しているという感覚を失ってしまう。

患者が一人の人間だというごく当たり前の事実を認めれば、
相手が求めるものは理路整然とした完璧な治療よりも、寄り添おうとする情なんだと気付く事ができる。

それを体現するパッチ・アダムスは、もはやロビン・ウィリアムスそのもののようで···

ロビン・ウィリアムスの笑顔は心と直結してて、
余計な詮索や思惑に邪魔されることがないからこそ、
その温かさは劇中の患者さんのみならず僕ら観客にまでストレートに伝わってくるんだろうな。

明日の糧になる映画。

でも、その糧はいつの日にか消化されてなくなってしまう。

余韻の残っているうちでもいい。
誰かと向き合いたいと思いました。

よい気分。
そーた

そーた