やっぱりカルカン

ライフ・イズ・ビューティフルのやっぱりカルカンのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

初めて見る方はハンカチかティッシュ必須ですのでご注意ください。この映画は前情報無しで見るべきですのでまだ見ていない方は続きを読まずに戻ってください。


2回目の視聴。
前回は13年ほど前に見たはずだが、途中まで全く見た事を思い出せない。

戦争・ユダヤ人・家族・離ればなれ・ひょうきんな父親・収容所・最期に父親が息子に戯けて歩いて見せる様子が断片的に記憶されているが、最初の30分で「いや…この映画じゃなかったかも知れない」「記憶違いかな?」と思い始めた。まるで初めて見る映画のように、前半の事をなんにも覚えていない。
この作品は、まるで前半と後半で違う映画を見ているかのように印象がガラッと変わるのだ。そして後半が衝撃的すぎて、後半の記憶だけしか頭に残っていなかったのだ。

1時間経って映画が半分に差し掛かった頃に、やっぱりあの映画で間違いないと確信する。事態はどんどん悪くなっていく。
詳細は割愛するが、こんなに時間が経っても2回目を見るのはきつい。きっと何年経っても最後の15分は忘れられないだろう。

映画の内容とタイトルが真っ直ぐには結びつかないのも、最初に思い出せなかった理由なのだと思う。Wikipediaには
>> 作品タイトルはロシアの革命家レフ・トロツキーがヨシフ・スターリンからの暗殺者に脅えながらも残した「人生は美しい」という言葉にちなんでいる。ベニーニは「どんな状況下でも人生は生きるに値するほど美しい」という信念に感銘を受け、物語を着想した。
とあった。
息子ジョズエから見た人生が美しいという意味なのかな?とも思ったが、グイドらしい前向きなタイトルだったんだな。

他の映画では収容所での辛い毎日が重く過酷に描かれている事が多い中、本作では館内放送やレコードのシーンなど時にほっこりとしたユーモアを交えて描かれている。
ラストもさることながら、過酷な労働よりも遺体の山よりも個人的に一番絶望感があったシーンは、グイドがホテル時代の客だった軍医と収容所で再開する所。初めから頭のおかしなオッサンだったが結局頭のおかしなオッサンだったというシーン。
多くの人が「これで助かる!」と思っただろう。グイドが助けを懇願したり、悲しみの涙を流したり、はたまた激怒する訳でもなく静かに現実を受け入れたのでより一層絶望感が増した。

主人公グイド役・監督・脚本はイタリアのチャップリンとも言われるロベルト・ベニーニ。妻ドーラを演じたニコレッタ・ブラスキとは本物の夫婦だと知ると、さらに2人の姿が微笑ましく感じる。