上映前に大寺さんが講演で仰っていたことを要約。
まずこの映画を大別するとどうなるか。それはフェミニスト寓話的な側面と時代劇映画の再構築的な側面に分かれる。前者はジャンヌダルクが女性兵士であったという事実と信仰的意味合い。後者は時代考証に基づきカルト的な魅力を排したものであるということ。つまり歴史映画が対象物を聖人かのように拡大解釈して映す一般的な方法には則とらないという姿勢。
これらについて氏はリヴェットが「ジャンヌダルク」を撮った動機、俳優サンドリーヌ・ボネールの身体的能力、リヴェットが論じた「卑劣さについて」の話を織り交ぜることで説かれた。その上でのレビューを以下に記す。
この映画が6時間弱の長さであるにも関わらず、観終わった後にそれほど疲れなかったのは歴史資料としての側面が強かったことに起因すると思われる。特に戴冠式の場面においては、傍観者としてその式事の追体験をしたかのように感じ思わず息を呑んだし、ジャンヌダルクが育ったドンレミ村の描写は細部まで美しく感じた。
また私はリヴェットの作品はこれが初鑑賞なのであるが、カメラの置き方に非常に感銘した。それは構図であり、カメラの動かし方であり、太陽との位置関係であるのだが、建物に入ってくる光とそこに映る被写体はどこで切り取っても恐ろしくカッコいい。インタビューを模したナレーションでの人の見え方とかも個人的には好み。
俳優の身体性に関しても、まさに馬は彼女の一部であったし、スゴイとしか言えない。
【リヴェットが「ジャンヌダルク」を撮った動機】
・リヴェットがルーアン出身であるということ(ルーアンはノルマンディーのカテドラルシティであると同時にジャンヌダルクが幽閉・火刑に処された地)
・リヴェットが影響を受けた詩人シャルル・ペギー(リヴェット長編一作目の「パリはわれらのもの」はシャルルの「パリは誰のものでもない」から来ているそう)が戯曲「ジャンヌダルク」を書いていたこと
・俳優サンドリーヌ・ボネールの存在(彼女自身貧しい家庭で育ち若くして有名になった。また彼女の俳優的イメージに芯が強くシンプルで飾らないことが挙げられる)