ALABAMA

あの夏、いちばん静かな海。のALABAMAのネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

観てから日が経って書いているので、文少なめ。
東宝配給、北野武監督作品。この作品の存在を初めて知ったとき、そのタイトルに強く惹かれた記憶が残っている。聾唖の青年が様々な人、もの、世界と出会い、時間を共有し、そして別れを告げるだけの物語。
聾唖である茂はゴミ収集の仕事中、廃棄されたサーフボードと出会う。先の欠けたそのボードを持ち帰り、発泡スチロールを繋ぎ合わせて修復。それを片手に恋人と海へと駆け出す。仕事を忘れてしまう程にサーフィンに熱中し、趣味を同じくする仲間とも出会い、彼は幸福な時間を過ごす。やがては大会に出場し、入賞するまでの腕前に上達。
或る雨の日、彼はいつも通りサーフィンに出かけた。少し遅れて貴子が向かうとそこに彼の姿はなく、ただ波に揺られるサーフボード。彼は幸福のうちに海に消えてしまった。
この映画で登場人物が話すセリフは意味を持たず、繋がれるショットの連続によって物語は進んでいく。映画の起源は写真であり、映画は写真が或る連続性を持って動いたものという意味を、映画を以て理解する事が出来る。という点で僕が思い描く映画の形にこの作品は非常に近かった。静かで印象的なショットの連続、被写体がフレームアウトした後も余韻的に残る風景達が絵画のように頭に残る。そういったことを踏まえた上で本作は、サイレント映画期の装いをしており、これを観た古き活動屋たちは「これぞシャシンだ」というのではないだろうか。今、僕が働いている会社では、ベテラン社員達が映画の事を「シャシン」と呼ぶ。サイレント期の映画を観て育ち、映画業界に入った彼らとともに時間と空間を共有する中で自分にもこの感覚が身体に宿ってきたのはとても嬉しい事だった。
普遍的幸福への祈りを込めた『あの夏、いちばん静かな海。』。茂が悲劇的な結末を迎えたとしても果たしてそれは不幸だったと言えるか。彼はある種、出会う事で生まれ、別れる事で死んでいった。誕生とは出会いであり、死とは別れ。その先を想像させてくれる結末ではあったものの、やはり黒澤明が指摘するようにラストシーンは余計だったんじゃないだろうか。
映画が活動写真であった時代が忘れ去られていく今日、若い映画製作者たちには今一度、映画の起源に立ち返って見つめ直して欲しい。自分も含めて。
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