白眉ちゃん

アフター・ウェディングの白眉ちゃんのレビュー・感想・評価

アフター・ウェディング(2006年製作の映画)
4.0
「祝福されるべき花嫁の出現と私達の欺瞞のベール」

監督スザンネ・ビアと脚本アナス・トーマス・イェンセンのたぶん三作目。

 定型的な三幕構成だ。一つ目の真実(アナがヤコブの実子であること)が露見し、一人の女と二人の男が強烈な因果関係で結ばれ、物語は動き始める。やや直截な感情表現によって、その内側の疑念や憤怒がありありと浮かび上がり、三人の間に不穏な空気が流れる。二つ目の真実(ヨルゲンの余命が幾ばくもないこと)が発覚し、物語は折り返す。猜疑心は戸惑いへと変わり、三者の物語は着地点を模索し始める。

 個人的に白眉ちゃん🤗だったのは、ここでの「花嫁」の使われ方である。婚約者に浮気されたアナに同情が集まり、対立していたヤコブとヘレネの緊迫感が融解していく。行き詰まっていたドラマ・感情が花嫁(愛娘)への愛情のもと決壊し、流れ始める。ポスターにも使われている死にゆく父親と生きていく花嫁の対照。清らかに流れ落ちる涙の美しさは忘れがたい。
 
 親世代のドラマの行き詰まりを子供の存在が突破口になることは様々な映画で描かれている。スザンネ・ビアの過去作『しあわせな孤独』(02)でもあった。あちらでは娘の歩み寄りも虚しく、父親は浮気相手のもとへ走るわけだが‥(悪いマッツ・ミケルセン😡)。披露宴の時は、婚約したウェディングドレスの女性という記号でしかなかったアナがアフター・ウェディングには周囲から愛され、祝福されるべき存在として「花嫁の本質」を獲得していくのも中々におもしろい。

 しかし、この映画も過去作同様にありがちな美談では決してない。物語の最初と最後に途上国の暮らしが映し出され、先進国と対比する視線が示される。まずヨルゲンのキャラクター造形は先進国の傲慢さ、そのものである。慈善活動への関心の薄さ(最終的な基金の設立も娘の為、ヤコブへの交渉材料である)、使用人の扱い、ワンマン経営、レストランでの態度など。そんな彼が泣き崩れ、命を賭して結んだヤコブと妻ヘレネの関係は表面的には綺麗なものに見えるかもしれない。しかし、この関係には多くの欺瞞が潜んでいる。

 ヤコブにしてみれば、ビジネスの為とデンマークを訪れたばかりに人生の残りを先進国に縛られ、20年前に別れた女性と仮初の婚姻関係を結ばされるのである。これは決して純愛ではないし、自らが撒いた種の皮肉な清算か、実娘と途上国の子供への支援の為に、かつてヨルゲンがした様に子供たちのファスナーを上げ、ヘレネと手を取り合い、父親の代替と共に豊かな暮らしを受け入れるのだ。

 ヨルゲン達の住む豪邸の壁には多くの動物の剥製が飾られている。それは豊かさが搾取してきたものを意識させる。妻ヘレネは着物のような室内着に身を包んでいる。公開当初の2006年に文化的搾取がどれほど騒がれていたのかわからないが彼女が豊かな暮らしを甘受している人間であることはわかる。忘れがたいのは、ヨルゲンが「死にたくない」と泣き崩れる姿を目の当たりにした時の彼女の狼狽した表情である。そこには愛する夫を失う悲しみだけではない、絶対的な地位の揺らぎを感じる彼女の動揺が透けて見える。

 故にヤコブもヘレネもこの欺瞞に満ちた婚約を受け入れ、豊かさを手に入れる。それは、豊さをそのままに受け入れる先進国の私達の生活の欺瞞を鋭く指摘する。同監督の作品らしい毒気か、実に面白い脚本である。
白眉ちゃん

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