なかなか非情な作品
当時ものこの映画の話で中学校がざわついていたことを憶えている。
特にスタントマンの死とその映像は今回もしっかりと見させてもらった。
地上波では何度も再放送されているようだが、今回改めて見た。
この作品でヤバい共感を禁じ得ないことが、今まで見なかった理由かもしれない。
人がどうしても抱いてしまうその部分は間違いなく歪でドロドロとしている。
さて、
この物語はマックスの復讐劇に間違いないが、改めて見てみればそれをも凌ぐマックスの怒りの矛先は、実は彼自身に向けられていたのではないかと思った。
当時の若さも相まって、彼のその初々しさと純粋なる家族への愛
無法者と腐った政府、司法省によって、逮捕されてもすぐ不起訴になる。
まるで今の日本国だ。
マックスは親友のグースの強い正義感があったからこそ、警官を続けられたのだろう。
黒焦げになった親友の姿にショックを隠せない。
このショックこそ、マックスの思考を停止させ、正しい判断をできなくさせた。
辞表
無法者はたまたま一個班だったが、実際にはたくさんのグループがあるはずだ。
若いマックスには見えない枠 腐敗した社会の実態 そして彼らの組織
警官を辞めることでそんなものとは縁が切れると、そう思い込んでいたのだろう。
しかし、
どこに行ってもそんな輩が蔓延っている世界
家族を殺されて初めてその事を理解したのだろう。
自分自身の甘さ その甘い考えこそ、家族の悲劇を招いたのだ。
彼らの様な無法者は徹底的に殲滅しなければならない。
これは、彼自身の甘さに対し徹底してその考え方を変える必要があることを、マックス自らに課した物語だろう。
通常ラスボスとは最後に戦うが、彼の場合そんな余裕も考えもない。
手当たり次第に殲滅していく。
奴らの最後がジョニーだったが、一応警官としてチャンスを与えた。
それとも遊んだのか?
彼を探し出すまでの徹夜の運転
そしてジョニーを殲滅後に再び真夜中の道路を突っ走る。
すべて殲滅させるまで止めないという意思が最後のエンドロールまで引っ張っていることでわかる。
冒頭、「いまから数年後」というサブタイトルが入るが、当時から荒みゆく世の中が問題提議されていたのだろう。
この作品が作られた背景だ。
そして大ヒットしたこともその社会的背景を反映させている。
舞台はオーストラリア
広大な国土だが人が住んでいるのは7%とも言われている。
そして右ハンドル
オーストラリアでは、仮にランボルギーニであっても、持ち込むには右ハンドルにしなければならない。
ここが当時撮影のジレンマだったのかもしれない。
だからどこの国のことなのかには触れていない。
その後始まったシリーズ化
その中のジャイロキャプテンしか見ていないが、マックスが自分自身に課したその使命こそこの物語の神髄だったように思った。
「司法がやらないなら俺がやる」
「2」以降で、彼は本当にマッドマックスになってしまった。