そーた

ケンタとジュンとカヨちゃんの国のそーたのレビュー・感想・評価

3.0
心の暗部

映画がもたらすのって心地いいものだけじゃないんです。
不快な気持ちだって立派なメッセージ。

でもこの映画、できればもう見たくはありません。

北海道を目指して旅する3人の男女。
社会に疎外された彼らの行き着く先に果たして希望はあるのか?

高良健吾と松田翔太の二人。
どこか刺々しい彼らの演技にどうも馴染めない。

先輩の車をボコボコにするシーンまでは爽快なんだけど、事務所を荒らすシーンは見ていて危うさを感じる。

安藤サクラをいじっていじめるシーンにはモラルが欠けている。

そして、その彼女もまた自分というものが無くて見ていてイラついてしまう。

途中立ち寄った海。
爽快な筈なのに何だかギクシャクしていて、見ていてスッキリしない。

頻繁に流される大袈裟なテーマにも辟易する。

終始こんな調子で映画との波長が全く合わないんです。

でも、実はそれが監督大森立嗣の狙いなんだとしたら。

そう感じてしまったのが、中盤に出てくる障害者施設のシーン。

このシーンを見て、この映画のスポットが社会から疎外された人達に当てられている事に気付いてしまう。

このタイミングでそれに気付いたと言うことは、普段僕が障害を持った人をそういう風に捉えているということを逆説的に示している。

普段、差別をしているつもりは全くない。
それでも自分の中に潜む、もはや自分の中で定式化されてしまっている差別意識をまざまざと見せつけられてしまった。

凄く辛くなった。
自分が恥ずかしくなった。

でも、どうすることも出来ないじゃないかと自分を正当化する。

そして、また辛くなる。

この映画と僕との間に生じていた不和。
社会の中で今まで見ないようにしていた存在を僕が映画を通して拒絶していたんだ。

自分の心の暗部を見た気がしました。

こんな風に心がえぐられた状態で、彼らの旅の終着を見届けなくてはならないんです。

少しでも光を見いだしたい。
そんなすがるような気持ちで映画を見続けました。

ラスト。
手で血を拭うシーン。

僕は決意と捉えたかった。

社会に居場所を失った人達の存在を僕が黙殺していた事実。
その認識と向き合って、さぁ何が出来るのか。

そんな決意をあのシーンに重ねたかった。

無理矢理にでも希望を見出だそうとするのは、果たして僕の甘さなのか、はたまた前進なのか。

何だか言い訳がましく聞こえてしまうのも、この映画の皮肉っぽいカラクリなのかもしれません。

この映画、やはり二度と見たくはない。
でも、それじゃいけないんだと心の奥に声が響いています。
そーた

そーた