SANKOU

ブルジョワジーの秘かな愉しみのSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

個人的にブニュエルの晩年の作品に見られるシュールな世界観が好きだ。
メキシコ時代には『忘れられた人々』のような、貧しくどん底の生活を強いられる人々を圧倒的なリアリズムな表現で描いた作品もあった。
しかし神や高潔さや美徳がテーマになった途端に、ブニュエルはそれらを冒涜するような挑発的な作品を作り出す。
美しく着飾り、取り澄ました上流階級の人々が、予期せぬ出来事によって化けの皮が剥がされるように滑稽な姿を見せる。
とても意地悪で悪趣味な作品だが、観客を作品の世界観に引き込む導入部分が実に絶妙だ。
まず着飾った二組の夫婦がある邸を訪れる。彼らは晩餐に招待されていたのだが、ホストは日付が今日ではなく明日のはずだったといい、テーブルには何の食事の用意もない。
すると招待客のひとりが馴染みの店があるので、そこでディナーを取ることにしようと提案する。
しかし店に着くとドアには鍵がかかっている。
得意気に店を訪ねた男だが、現れたウェイトレスに経営者が変わったことを知らされ、当てが外れてしまう。
それでも彼らはその店で食事をすることに決めるが、何と店の奥では亡くなったばかりの経営者の遺体が安直されていた。
食事どころではなくなった彼らは、そそくさと店を出ていく。
この絶妙なバランスが面白い。
後日気を取り直して彼らは再び集合するが、今度はホストの夫婦が客をそっちのけでセックスに励もうとしている。
しかも部屋から壁づたいに外に出て、庭先で隠れてセックスするのだから滑稽だ。
使用人からホストが外出していることを知らされた客たちは、何故か怯えたように逃げ出す。
客のひとり、架空の国ミランダの大使であるラファエルは、実は麻薬の取り引きをしており、そのことがバレて警察に通報されたと思い込んでしまったのだ。
とにかく全てがどこか噛み合わないまま話は進んでいく。
カフェに寄れば紅茶もコーヒーも売り切れており、水しか出てこない。
ようやく晩餐にありつけると思ったら、近くで演習をする軍の兵士たちが押し寄せて来てしまう。
この映画では登場人物が、根元的な欲求である食欲と性欲をなかなか満たすことが出来ない。
それが取り澄ました上流階級の人々の身に起こるから面白い。
そして印象的なのが夢の話だ。
ブニュエルの作品ではいつも夢の描写が強烈に印象に残る。
夢とは不条理で整合性がないものだが、人の潜在意識を呼び覚ますものでもあり、時に人の記憶に強烈なインパクトを残す。
最初は登場人物が自分の見た夢の話をするが、途中からは夢オチのシーンが続くようになる。
しかもどこまでが現実で、どこからが夢なのか、その境目が曖昧だ。
招待された晩餐の席がいつの間にか舞台に変わっており、何も知らされていない客たちが観客の視線に晒される夢の描写は秀逸だった。
夢の中で彼らは突如侵入してきたテロリストたちに射殺されてしまう。
ラファエルだけがテーブルの下に隠れていて助かるが、テーブルの上のラム肉に手を伸ばしてしまったので見つかってしまう。
この滑稽な描写で、これが夢であることが分かるのだが。
高慢さや偽善に対する批判もブニュエルの作品の特徴だ。
牧師が瀕死の老人の懺悔を聞こうとするのだが、その老人が自分の両親を殺した犯人であることが分かる。
口では老人に神の赦しを与えるが、去り際に彼は猟銃で老人を撃ち殺す。
至るところに皮肉的な描写が観られる作品だが、何もない長閑な田舎道を着飾った紳士とご婦人たちがぎこちなく歩き続ける姿がとても印象に残った。
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